1978年、キャンプでの打撃練習で正確なミートをみせる
若松勉(わかまつつとむ)/ 1947年、北海道生まれ。北海高校時代は夏の甲子園出場を経験。その後、電電北海道を経て、1970年のドラフト3位指名を受け、ヤクルトアトムズ(後のヤクルトスワローズ)に入団。翌年から二番、レフトで出場機会を増やし、存在感を発揮。1972年には3割2分9厘でデビュー2年目にして初の首位打者を獲得する。1974年からは三番打者としてチームを牽引し、4年連続の打率3割以上を記録。このシーズンから13年間は不動の三番打者として起用され続けた。1976年には打率3割4分4厘の好成績ながら、中日の谷沢健一が打率3割5分5厘だったため首位打者のタイトルを逃す。翌年はリベンジに成功し、打率3割5分8厘で2度目の首位打者を獲得。1978年には打率3割4分1厘でチームの初優勝に大きく貢献し、阪急との日本シリーズにも勝利した上、優秀選手賞も獲得。以降もコンスタントに3割以上の打率を記録し続け、1987年からは代打の切り札として3年間活躍。1989年オフに引退し、通算打率3割1分9厘の記録を残した。(撮影 宇都宮ミゲル)