思い揺れる町 ―南相馬市小高区を歩く―

南相馬市中心部の原町区から車でおよそ20分。福島第一原発から20キロ圏内の警戒区域だった同市小高区に入る。2012年4月に避難指示解除準備区域に再編されたところだ。

補修されずに所々ひび割れ、隆起した道を走る。対向車はない。車窓には、津波に流され放置されたま

まの車や、倒壊したままの家屋など、時が止まったかのような風景が続いた。再編後、住民の出入りや一部の事業の再開が可能になったが、人の気配はほとんど感じられない。

JR小高駅から西へ一直線に伸びる商店街を歩く。左右に並ぶ商店のシャッターやブラインドは軒並み下ろされ静まり返っている。立ち止まると一瞬、巨大な映画のセットの中にいる錯覚を覚えた。

駅から500メートルほど歩くと、静かにサインポールを回す理容室があった。カトウ理容室。原町区の仮設住宅に避難している店主の加藤直さん(63)は原発事故後、妻の幹子さん(61)と東京などに避難したが、再編を機に店を再開させたという。「街が店が、ものすごく恋しかったから」と動機を話してくれた。売り上げは震災前の3割程度だが、「来てくれるだけで本当にありがたい。住民に(小高区に)帰ろうという意志があれば、商売人も戻ってくるはず」と願いを込めて話す。

カトウ理容室を出てしばらくのところにある塩屋金物店は、申し訳なさげにシャッターを半分だけ開けていた。9時から15時まで仮営業しているという。「向こう5年は復興事業で需要があるかもしれないけど過疎化もあるしね。店を続けるかどうか……」。店の4代目で原町区の借り上げ住宅に避難中の岡崎崇さん(49)は揺れていた。

商店街を曲がり、住宅地に入った。西日を浴びる無人の家の玄関口に猫が一匹、佇んでいた。数歩歩き、振り返ると、そこにはもう猫の姿はなかった。

 

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撮影・時津 剛(写真部)

AERA 2013年3月18日号掲載「思い揺れる町 ―被災から2年の南相馬を歩く」より」

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