『Keith Jarrett:The Man And His Music』 By Ian Carr
『Keith Jarrett:The Man And His Music』 By Ian Carr

■本書「ビロンギング/ザ・サヴァイヴァーズ・スーツ」より

 ビロンギング・バンドとしても知られるヨーロピアン・カルテットは、ジャレットとノルウェー出身のサックス奏者ヤン・ガルバレクの個人的な関係から生まれた。だがそれは、マンフレート・アイヒャー(ECMレコードのプロデューサー)の提案に端を発した。
 アイヒャーが回想する。「私はずっと、ヤンとキースがすばらしいコンビネーションになるだろうと思っていた。それに、キースがヨン・クリステンセン(ドラマー)を気に入っていることや、パレ・ダニエルソン(ベーシスト)を前から知っていることもわかっていた。だから、彼に手紙を書き、『このレコーディングをぜひ実現させたいと思うが、できるだろうか?』と伝えた。すると、彼は『イエス』と答えてきた」。ジャレットとガルバレクのパートナーシップは、見事に結実することとなるが、その理由の一つには、彼らの特性に対する深い相互理解があった。

 リディアン・クロマティック・コンセプトを提唱したアメリカの偉大なジャズ作曲家ジョージ・ラッセルは、1960年代後半にスウェーデンで5年を過ごした。その間、スカンジナヴィア一帯の若いミュージシャンは、ラッセルと共に演奏し、実践を通して学ぶ機会を得た。ガルバレクも、そうした若者の一人だった。
 ジャレットが明らかにする。「僕とヤン・ガルバレクの関係は、彼がジョージ・ラッセルと演奏していた頃まで溯る。彼はまだティーンエイジャーだった。初めてヨーロッパに行った時(チャールズ・ロイドと)、僕はスウェーデンの誰かの家で、ジョージ・ラッセルの演奏を聴いた。ジョージはその頃、スウェーデンで暮らしていたんだ。それは、ジョージのスウェーデンのバンドだった。僕はそのバンドのテナー・プレイヤーのサウンドを聴き、『ええっ! ちょっと待てよ! これは忘れたくない音色だぞ!』と思った。そのサウンドはいつか使えると思い、しっかりと記憶した。その時、彼はガキに過ぎなかった。僕もガキだったが、彼はガキそのものだった」。実際、ガルバレクは19歳、ジャレットは21歳だった。

 1960年、ガルバレクとヨン・クリステンセンは、ジョージ・ラッセルのビッグ・バンドに加わり、ストックホルムで演奏していた。彼らはオフの夜に、チャールズ・ロイド・カルテットが出演するクラブへと向った。カルテットは、ロイド、キース・ジャレット、セシル・マクビー、ジャック・デジョネットという顔ぶれだった。
 ガルバレクがふり返る。「僕たちは彼らのことを何も知らなかった。だけど僕には、チャールズ・ロイドがキャノンボール・アダレイと演奏するのを見た記憶があった。だから、『少なくともモダンだと思うよ、行こうぜ!』と誘った。クラブに行ってみると、彼らの演奏はすばらしかった。驚きだった。リズム・セクションのトリオが、ずば抜けていた、特にキースが! 僕にとって、本当に新鮮だった。彼が演奏した《オータム・リーヴス》のロング・ヴァージョンは、まるで音楽の歴史を聴くことができるようだと思った。コーラスの一つは、たぶんもっと古いスタイルになるのだろうが、それでもジャズだった。新しかった。そのあと、実験的なクラシック音楽のように、さらに印象主義的な表現に発展するんだ。実際、いろんなふうに発展した。僕は、そういう演奏を聴いたことがなかった。だから、夢中になった。僕たちは最後に、彼らに挨拶をしたと思う」。
 60年代には、数々のジャズ・フェスティヴァルが、スカンジナヴィアで開催された。ロイドのカルテットは69年まで、毎年フェスティヴァルに出演した。ジャレットはそうした機会に、ガルバレクを何度か聴いていた。だが、ジャレットが70年代初期にヨーロピアン・グループとのレコーディングを決断した大きな要因は、おそらく彼が60年代後期に目の当たりにしたジャム・セッションの記憶だった。
 ジャレットが、鮮烈な印象を残したクリステンセンについて語る。「僕は一度、彼がフリー・ジャズ・スタイルで演奏するのを聴いていた。あれは、オスロのジャム・セッションだ。ヤンは座ってソプラノを吹いていた。アリルド・アンデルセンがベースを演奏し、ボボ・ステンソンは、ときどきピアノを弾いていたかもしれない。ヨンがドラムスだった。あの晩のフリー・ジャズを超える演奏は、なかなか聴けるものじゃない。まさに圧巻だった! 特にヨンは、すばらしく流動的で、自由自在にリズムを操っていた」。
 ガルバレクは、70年に7夜続けて、ジャレットが加入したマイルス・デイヴィス・バンドのライヴに耳を傾けたと言う。「彼らは一晩に3回もステージに立った! ヨーロッパでは考えられないことだ。とにかく、僕はその場にいたんだ。毎回、最前列で聴いた。まったく凄い演奏だった。マイルスには、ただただ驚いた。彼は絶頂期だった。彼の演奏は本当に並外れていた! 彼は吹いて、吹いて、吹きまくった。唇が切れて、出血していた。バンドは一丸となって、燃えていた。彼らは強烈だった。すさまじい演奏を繰り広げた! キースは、たった一人でキーボードを受け持っていた」。[次回更新12月9日(月)予定]