『Fire And Rain:The Beatles,Simon & Garfunkel,James Taylor,CSNY, And The Lost Story Of 1970』by David Browne
『Fire And Rain:The Beatles,Simon & Garfunkel,James Taylor,CSNY, And The Lost Story Of 1970』by David Browne

■1970年の音楽的・政治的・文化的変化の検証

 1970年1月、60年代にきわめて偶像視された3組のグループが、ようやく重要な新作を発表しようとしていた。ビートルズは、再度集まり、『レット・イット・ビー』に最終的な仕上げを施す。クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングは、待望のアルバム『デジャ・ヴ』のレコーディングを終える。サイモン&ガーファンクルは、傑作『明日に架ける橋』をついに完成させる。その一方で、ジェイムズ・テイラーという新進気鋭のシャイなソング・ライターが、アルバム『スウィート・ベイビー・ジェイムズ』に収録する最後の曲を書こうとしていた。

 この1年を通じて、これらのミュージシャンの人生と彼らを取り巻く世界が、様変わりすることになる。本書『ファイアー・アンド・レイン』は、動乱期の世相を背景として、1970年にリリースされた4枚の画期的なアルバムと、それらを制作したアーティストが織り成す人間模様、また、彼らの作品や探求が一時代の終焉と新時代の到来を反映させる経緯について綴る。

■プロローグ(1月より抜粋)

 1月6日の夜、ポール・マッカートニーは、ロイヤル・アルバート・ホールの座席に腰を下ろした。彼は、ボックス席を備えるドーム型の格調高い劇場で、5000人あまりの観客とともに、“アメリカのビートルズ”と称されるバンドのロンドン・デビューを目のあたりにしようとしていた。

 その1年1か月前、ジョージ・ハリスンは、彼らとアップルの契約を見送っていた。だが、彼らはいまやヨーロッパ・ツアーが新聞の大見出しを飾るスターだった。そして、その成功を物語るように、特注のライティング装置を完備した大掛かりなサウンド・システムが、アメリカからロンドンに船便で運び込まれていた。彼らは、ビートルズがその昔、1964年に、主演映画『ア・ハード・デイズ・ナイト』の盛大なレセプション・パーティーを開いた、ロンドンでは最高級のドーチェスター・ホテルに滞在し、マネージャーには、ローリング・ストーンズから市内のオフィスを提供された。デイヴィッド・クロスビー、スティーヴン・スティルス、グレアム・ナッシュ、ニール・ヤングの要望は、何であれ聞き入れられた。

 彼らはありあまる理由から、多少ナーヴァスになっていた。その夜、主だった新聞の評論家は一人残らず客席に顔を揃え、ポール・マッカートニーばかりかドノヴァンや、彼らが所属するアトランティック・レーベルのトルコ出身の社長アーメット・アーティガンを含めて、多数の著名人が、彼らを吟味するべく、会場に足を運んでいた。マンチェスターで成長したグレアム・ナッシュは、同じイギリス人のなかに懐疑的な人物もいることを承知していた。なぜなら、彼は、愛する母国とホリーズのもとを去り、ロサンゼルスでこの新しいバンドに加わったのである。

 彼らは開演前に、舞台裏での儀式によって、つまりマリファナを回して存分に味わい、気分を和らげた。クロスビー、スティルス、ナッシュの3人が(ヤングは後に参加)、出番を迎えたとき、クロスビーは非常にハイになり、ナーヴァスになりながらも、燃えていた。したがって、彼は上の空で、裏方が彼の背中に「L」のマークを貼りつけたことに気づかなかった。彼は、ブラウンのフリンジ付きのジャケットの背中に、イギリスでは自動車運転の練習者が車につける白地に赤の記号を貼って、ステージに出た。

 観客は、一斉に爆笑した。クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングは、とても「初心者」とは言えなかった。彼らが新たにバンドを結成したことは、8ヵ月前にリリースされたアルバム『クロスビー・スティルス&ナッシュ』(ヤングが加入する前に制作)を通して、すでに知られていた。彼らはそれぞれ、バーズ(クロスビー)、バッファロー・スプリングフィールド(スティルスとヤング)、ホリーズ(ナッシュ)という、異彩を放つダイナミックな音楽を生み出した、60年代を代表するバンドのメンバーだった。[次回7月8日(月)更新予定]