ビール片手に観戦中なう。やはりドーム球場より、そよ風に吹かれながらのハマスタ最高!(撮影/谷川賢作)
ビール片手に観戦中なう。やはりドーム球場より、そよ風に吹かれながらのハマスタ最高!(撮影/谷川賢作)
これも「球場」なのか!? トイピアノを奏する筆者(^_^;(撮影/谷川賢作)
これも「球場」なのか!? トイピアノを奏する筆者(^_^;(撮影/谷川賢作)

 さて、この稿が掲載される頃にはワールドカップ熱もようやくおさまっているのでしょうか? かく言う私も、この時期限定でにわかサッカー小僧になってしまうのですが、しかしサッカーはほとんどのべつ幕なしハラハラドキドキしていなければならないのがしんどい。

 野球? そりゃあ「守備タイムはいっせいにトイレタイム&買い出しタイム」ですよ。その間試合は見ていない。そりゃあ、根っからの野球ファンは許さないと思いますが、スポーツ観戦とは、「仕事をはなれて観戦している今の自分のほっこり幸せなひととき」を楽しむものだと思うのです。が、もう最近はどんなスポーツも応援が度を過ぎて熱狂的になる一方でこわいなあオロオロ(^_^;

 天下御免の18連敗を記録したこともある、千葉ロッテマリーンズファン(約40年間ずっと)の私としては、「ゆるファン」でいられることこそ、スポーツ観戦の醍醐味なのになあ。まあそれはおいといて、今回は音楽と野球が実は近いという話。さあ、どんどんいきますよ!

 まずは、ピッチャーが「腕をふって投げることが大切」ってよく言われていますよね。ボールを置きにいってはだめだと。これまさしく楽器の演奏にも当てはまるのです。むずかしい、弾けなさそうなこわいフレーズになると、音符を置きにいってしまう。でもそうすると「生きたボール=音符」にならず、心に響かないのです。ちょっと自信がない音符でも、腕をおもいっきりふる気持ちでいくのです。その結果ボール球でもバッターは振ってくれるかもしれない(多少演奏があれていようが、出した音に魂が入っていれば感動できるの意)。

 で、ピアノというものは、自分専用の楽器を持ち歩けないピアニストにとって「野球場」なのです。そこに行って試合をする。よく知っている馴染みのピアノ=球場はともかく、地方巡業に行くと、どこのどんな会場のおんぼろピアノ(時には最高のピアノにも出くわすが)でも、一期一会。楽器が自分にあわないから、今日の演奏はだめだったなどと決して言えないのです。無風のドームでも、強風吹き荒れるQVCマリンフィールドでもあがったフライは捕らなあかんのです! マウンドの傾斜がゆるかろうが、外野のフェンスに癖があろうが、相手の条件も同じ。(でもここだけの話、ピアノのコンディションで苦戦をしいられることは多々あります……)

 ピッチャーとキャッチャーの関係も、実に音楽的。通常キャッチャーがサインを出して、ピッチャーが同意してうなずいて次の球を投げるのですが、この「阿吽感」がミュージシャン同士の会話にもいかに大切か。演奏している時に「Bの8小節もう一回繰り返してからCね」なんて実際の会話はできないので、目線一発で決める時がある。その時の「ああもう一回B繰り返しね、了解!」という“テレパシー”と、キャッチャーとピッチャーが「ああ、次の球はアウトローにボールになるスライダーで空振りとろうね」という“テレパシー”は、チームスポーツでありながら、時には1対1の会話になる音楽とよく似ている。

 ああ、まだまだいくらでも書けるのですが、また次回。そして、皆さんも時々は球場に足を運びませんか\(^O^)/[次回7/7(月)更新予定]