『ナット・キング・コール・トリオ』
『ナット・キング・コール・トリオ』
『London Years』
『London Years』
『Complete Savoy & Dial Master Takes』
『Complete Savoy & Dial Master Takes』

●ナット“キング”コール(1919‐1965)

大ポピュラー・シンガーの前職

 ナット“キング”コールは偉大なジャズ・ピアニストだった。かつては、こう書きだすのがガイドブックの常だった。大ポピュラー・シンガーとして広く知られる一方で、ジャズ・ピアニストとしての功績は等閑視されていたからだ。「それって誰?」といわれかねない平成の世に、改めるべき先入観はない。新しいファンは次の一節を素直にうけとめてくれるだろう。コールはジャズ・ピアノをスウィングからモダン・スウィングに橋渡しした偉大なピアニストだった。すぐに本題に入ればいい。手間が省けて寂しい気もするが。

 アラバマ州モンゴメリーで生まれ、4歳からシカゴで育つ。幼時からピアノに関心を示し、母に手ほどきされる。12歳で教会のオルガンを弾き、クラシック・ピアノを習得する一方で、ラジオでアール・ハインズの演奏に親しみ、15歳で高校を中退しプロになった。初録音は36年7月、兄のエディ(ベース)名義のセッションだ。ハインズの強い影響下にあるとされる。同年秋、エディとミュージカルのツアーに加わりシカゴを離れたが、37年5月に一座は解散し、ロスにとどまったコールはクラブのソロ・ピアニストの職を得た。

モダン・スウィング派の先駆け

 37年の秋にオスカー・ムーア(ギター)、ウエスリー・プリンス(ベース)とトリオを組み、コールの快進撃が始まる。たしかにハインズ系だが、自由度の高い左手とメリハリのきいた右手は新しく、スウィングを脱しつつある。ハインズ一辺倒でもない。11月録音の《ライザ》ではアート・テイタム流のテクニカルなラインを、《キャラヴァン》ではエロール・ガーナー流の語り口を見せている。40年には洗練とモダン化が進み、12月録音の《ハニーサックル・ローズ》ではオスカー・ピーターソンを思わせる場面も少なくない。

 42年以降はテディ・ウィルソン流の左手の低音進行に加え、ジョージ・シアリングとの近似性を感じさせる、ロックド・ハンズ(注1)やオクターヴ・ユニゾンをとりいれるようになる。十八番のグリッサンド(注2)とビ・バップの語法をとりいれたモダンなスタイルは49年には完成している。3月の《バップ・キック》などは初代ピーターソン・トリオの演奏と誤認しかねない。最高の継承者は、ヴォーカルを含めて?ピーターソンだ。ホレス・シルヴァーとビル・エヴァンスも臭いと思うが、検証は次回に譲らせていただく。

 注1:両手でコードを連続して弾く。41年にミルト・バックナーが指の短さをカバーするために編み出したが、すぐに多くのピアニストが使うようになった。シアリング、ガーナー、レッド・ガーランドなどのスタイルが有名で、さらに発展させたのがエヴァンスだ。

 注2:ある音からある音へ(上または下へ)滑るように演奏する。コールは、やはりハインズ系の女流ピアニスト、メアリー・ルー・ウィリアムスの奏法にヒントを得たという。

●ジョージ・シアリング(1919‐)

ジャズ不毛の地で研鑽を重ねる

 ビ・バップの末期、ジョージ・シアリング・クインテットのピアノとヴァイブとギターが織り成す清新なサウンドは一世を風靡した。日本でも、メンバーのスタイルとクインテットのサウンドを模したグループが多くあったと記憶する。クール・ジャズの範疇で語られるが、レニー・トリスターノ派の厳しさや抽象性とは無縁の、都会的で洗練された、多分にコマーシャルなサウンドが大衆にアピールした。スウィング末期の洗練とビ・バップの語法を融合したシアリングのスタイルも、多くのピアニストが追従するところとなる。

 ロンドンの石炭商の家庭に全盲で生まれる。3歳までに音楽に関心を示し、中古ピアノを買いあたえられた。盲学校で厳格な音楽教育をうけ、一度聴いたものは決して忘れないという異才を発揮する。10代でプロ活動を始め、クラブやパブのほか、リーダー以外は盲人の楽団で演奏し、ロンドン中に評判が広まった。本場流のジャズが存在しないも同然の不毛の地で、シアリングはわずかに輸入されていたミード・ルクス・ルイス、ハインズ、テイタム、テディ・ウィルソンなどの、聴けるかぎりのレコードを手本にしたとされる。

クール・サウンドで一世を風靡

 初録音は38年6月、ヴィック・ルイス楽団のセッションだが、入手はかなわなかった。最初期のリーダー・セッションがCD化されている。25曲中22曲がソロで、スタイルの変遷を知るうえでも好都合だ。39年3月の録音ではハインズ流とルイス流の演奏が混在し、41年3月と4月の録音でも路線変更はないが、演奏が軽快でハーモニックになり、早くもロックド・ハンズをとりこんでいる。8月の録音ではテディ流の低音進行やテイタム流のアルペジオをおりこみ、42年から43年にかけては両者が混在したスタイルを形成していく。

 44年から46年にかけての録音も入手難で、調査は果たせなかった。バド・パウエルやトリスターノの語法を消化し、著しく成長したことはたしかで、《ソー・レア》に始まる47年2月の録音ではモダン・スウィング派への変貌をとげているのだ。49年1月のクインテットの初セッションでは《ビ・バップズ・フェイブルズ》を筆頭に、控え目なコンピング、上品なメロディー・ライン、ロックド・ハンズの活用といったスタイルが出来あがっている。影響をうけた大物にはピーターソンと、のちに逆影響をうけるエヴァンスがいる。

●エロール・ガーナー(1921‐1977)

ワン&オンリーのスタイリスト

 ジャズは個性を尊ぶ音楽で、多くの優れて個性的なミュージシャンがジャズ史を彩ってきた。なかでも、ひときわユニークな存在がエロール・ガーナーだ。ガーナーはストライド~スウィング~ビ・バップと、それまでのジャズ・ピアノのスタイルを消化し、ワン&オンリーなスタイルを築きあげた。左手が刻む力強いリズムと右手の遅れ気味のメロディー・ラインが生みだす絶妙のスウィング感と寛ぎに満ちたスタイルは、一度耳にすれば聴きまがうことはないだろう。それが色物系?のピアニストにあたえた影響も小さくない。

 ペンシルバニア州ピッツバーグで音楽一家に生まれる。2歳過ぎにピアノを始めるが、6歳のときにピアノ教師は、耳で覚えて楽譜を習得しようとしないガーナーの指導を投げ出した。これがガーナーが受けた唯一の音楽教育だ。7歳で地元のラジオ局で弾き始め、ダンス・バンドで演奏するため高校を中退し、39年にアン・ルイス(女性シンガー)の伴奏者としてニューヨークに出る。45年までにタイニー・グライムス(ギター)、スラム・スチュアート(ベース)とトリオを組み、ブロードウェイや52丁目のクラブで演奏した。

モダン・スウィング右派の巨匠

 44年10月の初録音・初リーダー・セッションは発表されなかった。ブルーノート盤などに収められた11月と12月の録音を聴くのは不可能事に思える。45年1月のサヴォイ録音から始めざるをえない。ハインズ系でありつつ、ガーナーらしいタイム感覚も見られる。8月のドン・バイアス(テナー・サックス)のセッションでは、ファッツ・ウォーラー流のストライド、ハインズ流のストライド、コール流のホーン・スタイル、まぎれもないガーナー・スタイルありと、大いに忙しい。スタイル形成期にありがちなアイドルの同居だ。

 完成した姿は47年2月のトリオ演奏《トリオ》と《パステル》にとらえられている。そのスタイルはスウィング寄りだった。2月のチャーリー・パーカー(アルト・サックス)のセッションや4月のジャスト・ジャズ・コンサートでは予想外に流麗でモダンな演奏を見せているだけに、不思議でならない。自分の感性に忠実だったと見るべきなのだろうが、カクテル・ピアノ・タッチの同工異曲を量産していくことになった。デイヴ・ブルーベック、ピーターソン、ドド・マーマローサ、アーマッド・ジャマルが影響をうけている。

●オスカー・ピーターソン(1925‐)

カナダ生まれの超テクニシャン

 「うまいことは滅法うまいのだが...」。これが大方のオスカー・ピーターソン観ではないだろうか。熱狂的な支持者に会ったこともない。エヴァンスの登場で割りを食った節がある。かつて「どっちがエラいか?」式の論争がジャズ誌をにぎわしたことがあったが、芥川賞組と直木賞組をくらべてはいけない。ジャズ史上の功績でエヴァンスがまさるのは自明の理ではないか。ただ、ピーターソンがホーン・スタイルとオーケストラ・スタイルを融合し、想定範囲だったにせよ、一つの理想形を築きあげたことは評価すべきだ。

 モントリオールで生まれ、5歳でトランペットを始めたが、肺結核を患い、3年後にピアノに転向する。14歳のときにアマチュア・コンテストで優勝、それがきっかけで地元のラジオ局でレギュラー番組をもった。そのときに知りあったコンサート・ピアニストからクラシックとジャズをたたきこまれる。次いでジョニー・ホームズ楽団に4年間在籍し、退団後はトリオを率いて活動、カナダを訪れる本場のミュージシャンの注目を集めた。49年に興行師ノーマン・グランツがアメリカの聴衆の前にひきずりだし、大反響を呼んだ。

モダン・スウィング派の最高峰

 初録音・初リーダー・セッションは44年12月だが、入手は絶望的だ。45年4月にカナダ・ビクターへの録音が始まる。鍵盤をフルに使ったテイタム流だが、コール流のロックド・ハンズや流行のブギもとりこんでいる。46年まで大きな変化はない。47年になると、コール流のホーン・ライクなアプローチを強め、ガーナー流の語り口も垣間見せる。録音のない48年に一段と成長していた。49年3月の録音ではモダンで洗練され、ほぼ完成の域にある。《ロッキン・イン・リズム》でのドライヴ感はピーターソン以外の何者でもない。

 《ファイン・アンド・ダンディ》に始まる11月の録音では、スピーディーで粒の揃ったシングル・トーンをメーンに、オクターブ・ユニゾンやロックド・ハンズをまじえたドライヴィングなスタイルが出来あがっている。50年8月の《サリュート・トゥ・ガーナー》はガーナーへの敬愛のほどが知れて微笑ましい。影響をうけたピアニストの多くは「大衆作家」だ。ジュニア・マンス、ミシェル・ルグラン、ジーン・ハリス、ラムゼイ・ルイス、モンティ・アレキサンダー、ピーターソンが後継者と認めたベニー・グリーンがいる。

●参考音源

[Nat King Cole]
The King Cole Trio Transcriptions Vol.1 1938 (Naxos 38.10 & 11)
Nat "King" Cole in the Beginning (Decca 40.12-41.10)
Vocal Classics & Instrumental Classics (Capitol 43.12-49.3)
The Keynoters with Nat King Cole (Keynote 46.2)

[George Shearing]
The London Years 1939-1943 /George Shearing (Hep 39.3-43.12)
Great Britain's/Marian McPartland-George Shearing (Savoy 47.2 & 12)
Midnight on Cloud 69/George Shearing Quintet-Red Norvo Trio(Savoy 49.1)

[Erroll Garner]
The Complete Savoy & Dial Master Takes/Erroll Garner (Definitive 45.1-49.8)
Complete American Small Group Recordings/Don Byas (Definitive 45.8 & 11)
Charlie Parker Story on Dila Vol.1 (Dial 47.2) Just Jazz Concerts/V.A. (GNP 47.4 & 48.7)

[Oscar Peterson]
This Is Oscar Peterson (BMG 45.4-49.11)
Oscar Peterson 1950 (Classics 50.5-50.9)