ワークタイム/ソニー・ロリンズ
ワークタイム/ソニー・ロリンズ

 春はサヨナラの季節であるとともに、新しい生活がはじまる季節でもある。ちょうど30年前の今頃、高校卒業式の翌日だ。どこの会社も新入社員の出社は4月からだと思って気持ちよく寝ていたら、

「なに寝てんねん!?はよ起きんかい!」

 親父に叩き起こされた。

 学校を、卒業したら社会人。へたな川柳みたいだが、まさに卒業式の翌日から、わたしの理容師としてのキャリアがスタートした。床屋の子として育ち、ずっと両親が忙しく働くのを見ていたから、自分もきっとそうなるのだろうと漠然と考えていた。音楽関係の仕事に就きたいという気持ちもあったが、どうすればそんな仕事に就けるのかもわからず、結局自宅の手伝いをする日がやってきてしまった。

 正直なところ、散髪の仕事が嫌で嫌でたまらなかったのだ。

 大多数の青年たちは、社会に出るや、「何者でもない自分」であることを思い知らされる。学歴があろうとなかろうと、ギターやトランペットがうまかろうと、部活で全国大会に出場したとしても、そんなことは、仕事をするうえでは何の足しにもならない。「仕事ができるかどうか」「稼ぐ能力があるかどうか」が大事なのだが、当然のことながら、入ってすぐの新入社員は何もできない。学生時代はスターだった人も、そうでなかった人も、社会に出れば何者でもない。ただの青二才なのである。

 時には罵声を浴びせられることもあるだろうが、悔しくても黙って仕事を覚えるしかない。一年、二年、三年と、コツコツ仕事を覚えていくことで、だんだんと意見を言える自分、「何者かである自分」になってくる。なかなか「一足飛びに」というわけにはいかないのである。

 余談ながら、わたしの初任給は、「週5千円」であった。戦後まもない頃じゃないぞ。1983年。バブルに向けて経済成長の真っ只中に、「週5千円」とはガックリである。同級生には恥ずかしくて、とても言えなかったが、同業者の知人に話しても、それはヒドイと笑われた。しかし、それでよかったのだ。今、最低賃金を引き上げる法案なんかも出ているが、そんなことしたら、企業側は雇わなくなる。ただそれだけのことだ。仕事を教えて欲しいのなら、月給なしでも構わない。むしろ月謝を払うくらいでよいのではないか。

 床屋の店内でジャズをかけはじめたのも、やはり仕事を始めて3年くらい経ってからのことで、いきなりそんなことができる雰囲気ではない。徐々に、仕事の腕をあげ、少しずつテリトリーを広げ、BGMをかける権限を得て、とうとうジャズの聴ける理容室の開店まで漕ぎ着けた。そして今では、こうして朝日新聞のジャズストリートで連載している。曲がりなりにも「音楽関係の仕事」に就いてしまったではないか!?(曲がりすぎやろ)

 人生とは、じつに不思議なご縁で出来上がっている。卒業式の翌朝、布団にくるまり惰眠を貪っていた青年が、まさか「ジャズの聴ける理容室」のMasterになるなんて。

 嫌で嫌でたまらなかった仕事は、ジャズとくっついた瞬間に「天職」となったのだ。もし、今からミュージシャンでも政治家でも、何でも仕事を選べるとしても、わたしは迷いなく「ジャズの聴ける理容室」を選ぶだろう。そうだ、あの頃の自分に言ってやりたい。青年よ鋏をとれ。ジャズほど素敵な商売はないぞ。

【収録曲一覧】
1. There's No Business Like Show Business
2. Paradox
3. Rain Check
4. There Are Such Things
5. It's All Right With Me

Sonny Rollins (ts),Ray Bryant (p),George Morrow (b),Max Roach (ds)
[Prestige] 2.Dec.1955. Engineer:Van Gelder