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 45度上向きラッパ、パンクするんじゃないかと心配になるほど大きく膨らむ頬はディジー・ガレスピーの強烈なトレード・マーク。

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 巨体をユーモラスに揺すって、ヒョーキンな表情でステージに立つディジーは、時に目立ちたがり屋の道化師、時におどけたエンタテイナー。

 ジャズのルーツであるアフリカのスパイスと、リズムの宝庫キューバの色彩で情熱的な味付けをしたディジーは、その愛すべき個性の鍋でそれまでの"鑑賞するジャズ"ばかりのジャズ・メニューにやなど、心ウキウキ、身も心も踊るような"楽しむジャズ"のご馳走を追加した名シェフである。

 こうして'40年代にアフロ・キューバンのビートを取り入れて、それまでのジャズを楽しいエンタテイメントに仕上げた功労者ディジーは、ジャズの歴史の上でもうひとつの革命的な先駆者であった。

 黒人霊歌や労働歌(ワーク・ソング)を基盤にしてニューオリンズで生まれたジャズはブラス・バンドの形態からやがてデューク・エリントンやベニー・グッドマンに代表されるビッグ・バンドによるスイングの時代に移って行った。

 '40年代に入って、その頃の主流だったミュージカルやダンス音楽に飽き足りないディジーは、セロニアス・モンク(p) やチャーリー・パーカー(as) 等と自分たちが本当にやりたい音楽を仕事の後の溜まり場になっていた「ミントンズ・プレイハウス」で試みていた。意欲的で有能な若手ミュージシャン達はスイングの規制の枠を外し、コード展開を拡大してアドリブの可能性を重視した新しいジャズの形態"ビ・バップ"を誕生させたのである。

 偉大なジャズの先駆者ディジーだけれど、普段は実にヒョーキンなオジサンだった。古い写真やビデオ化された映像の中でもオトボケぶりを見ることが出来るけれど、例にもれずぼくのカメラの前でもしっかりとヒョーキンしてくれました。

ディジー・ガレスピー:Dizzy Gillespie (allmusic.comへリンクします)
→トランペット/1917年10月21日~1993年1月6日