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「話題の新刊」に関する記事一覧

善き書店員
善き書店員 日本の書店はこの15年で約8千軒が消えていった(日本著者販促センター調べ)。一方で、一店舗あたりの売り場面積は増加傾向にあり、インターネット通販も広く普及した。本を売る現場が激変する中、現役書店員6人の言葉に耳を傾けた結晶が本書だ。 「書店員の私は本を買って読む人にとっては、名前のない、顔も認識されない存在でしょう。でも、関われるのって幸福だな、と。そういう出会いの『もと』みたいになれたらいい」「ほんとうに好きじゃなければやめたほうがいいよ、と年下の人間にいわざるをえない業界にはなっていますよね」「人と人とが接する。私は、今後も本屋として店を構えて商売する以上は、どういう品揃えをするという以前の、ちゃんと人と接することができるというところがポイントになっていくと考えています」  本書には、棚の工夫一つで本への反応が一変する、といった書店の裏側を垣間見る面白さはある。しかしそれ以上に、彼らの肉声から伝わる、仕事への真摯な思いや迷いに静かな共感を覚える。そこには、大切にしたくなる“善さ”が確かに存在している。
三陸の海
三陸の海 著者の夫である吉村昭は、岩手県三陸海岸にある田野畑村を舞台にした小説『星への旅』で、作家としての出発地点に立った。その村へ行くには、かつて東京から2泊3日もかかったが、吉村は夏になると毎年のように欠かさず訪ねていた。東日本大震災の翌年、15年ぶりに村を訪れた著者は、被災前の村の姿を振りかえり、8回にわたって散文を綴る。  空と海と星空のかぎりなく美しい田野畑村は、人口4千人足らずと小さく、人々は日本のチベットと呼んでいた。著者は吉村との新婚早々に夫婦で行商に出て石巻から北に向かい、北海道の根室まで流れていったことがある。三陸の小さな村は、小説を書くという心の支えを持ち続けたころを思い出させるのだろう。かつての村長がたいへん魅力的な人物で、村が俗化しないよう説得された吉村は岬をひとつ買い、乳牛のオーナーにもなった。その村長は無医村に都会の医者夫婦まで呼んで来た。大震災ののち吉村の『三陸海岸大津波』の大増刷にともなう印税のすべてを著者は村に寄付し、断崖がせまるため今も堤防を築けない村をいとおしむ。
いつも手遅れ
いつも手遅れ 近年、68歳で亡くなったイタリアの作家による書簡体小説。差出人の異なる男性の17通の手紙と、取次会社の女性による事務的ながらも文学的な一通の返信で構成される。  「いとしいきみへ」「いとしのオフィーリア」「ぼくのかわいい、苦しむひとへ」──。別れた、あるいは離れた場所にいる愛する人に宛てて、男性が昂揚して手紙を綴る。クレタ島、プロヴァンス、ロンドン、ポルトなど、かつて愛するひとと訪れた土地が記憶の発火装置となって思いが溢れ、読者は手紙にひそむ絵画的かつ音楽的な幻と退廃に身をゆだねることになる。過去に釘づけにされて苦しむ男性陣の手紙はどこか破綻しており、行くことのなかった旅の細部さえもが鮮明に描かれる。名の知れない手紙の差出人らによる記憶の袋小路。それらを葬り去るのは、最後の「お客さま各位」に宛てた通達だ。  思索の広がりによって記憶は増築され、断片的で継続性のない時間を生み出す。手紙の差出人は100年前の「きみ」を見たり、老いから若返ったりする。果てしなく展示の続く美術館に迷い込むような小説だ。
けもの道を笑って歩け
けもの道を笑って歩け 「愛のむきだし」「冷たい熱帯魚」「希望の国」など、数々の衝撃的な作品を手がけた映画監督が説く人生論。厳格な父から逃れて上京。路上で知り合った女に「セックスして心中するか、実家に行って一緒に住んでくれるか」と迫られたり、新興宗教の教会に住み込んだり、一回だけ関係を持った女の子がヤクザの娘で、「レイプしてただで済むと思うな」と因縁を付けられて事務所に監禁されたりと、映画のような修羅場をくぐり抜けてきた。  そんな著者が、自らが刺激を受けた数々の名画と共に語る人生論が面白くないわけがない!  「逃げるなら早いうちに逃げ去れ」「ピンチを逆手に取れ」「ヤリたければ知性を磨け」などといった激しい言葉は破天荒に見えるが、どれも真実味が宿る。中でも印象的なのは、「自分が一番長く付き合うのは自分という他人であり、友人や恋人とはケンカ別れできても、自分とは絶縁できない」ということ。  もうひとりの自分と本音で向き合い、けもの道を笑いながら歩く姿はまさに“映画のような人生”であり、それこそが生きる醍醐味なのだろう。
お引越し
お引越し レンコは11歳。京都の小学6年生だ。今日、とうさんが引っ越しをする。私のおうちが二つになります──。突然両親が離婚した少女が見つめる家族の姿と、さまざまにゆれる心の内を乾いたユーモアで描く児童文学。  世間で言う家庭の不幸もなんのその、母と決めた「三引く一の生活」のルールに「イエッ! 私たち愛しあってるゼ!」と書き、両親の後輩で気の優しい布引君に「わかってないなあ」と生意気な口をきく。大人のつまらないセンチメンタルなんぞおよびじゃない、子供はタフな生き物だということを思い出す。  だが彼女は「バーカ」を連発する。目を見てくれない父に「バーカ」、父の名がない表札に「バーカ」。「女の子だからお手伝いもカルイカルイ」と能天気に励ます教師にもムカムカ。言葉にならない心のグルグルとひとり格闘する姿に、そうだ、わかるぞと声が出る。  本書は91年の椋鳩十児童文学賞受賞作。復刊に際し、35歳のレンコと親友二人の「あと話」を新たに収録、「力が入りすぎ」のあの頃を力に変え、強く成長した子供たちの語りにじんわり胸が温かくなる。
水族館の歴史 海が室内にやってきた
水族館の歴史 海が室内にやってきた 科学者や熱狂的愛好者たちの思いは、水族館をどのように進化させていったのか。ドイツのノンフィクション・ライターが、精密で鮮やかな挿画をふんだんに交え、人間の飽くなき探求の過程を考察する。  人間はギリシャ・ローマ時代から水槽に魚を飼って観察していたが、17世紀に金魚が西洋に持ち込まれるとたちまち人気を博した。だが当時、海は忌まわしい暗黒世界で、人々に海への関心が芽生えたのは18世紀に海辺が保養地として親しまれるようになってからだ。  海の神秘への興味は、次第に鑑賞の美しさを優先させる。中央の空洞に小鳥がいてまわりを魚がすいすい泳ぐ、鳥かごと組み合わせた水槽や、花台と噴水のついた居間用装飾品としての水槽がつくられた。海の生物を淡水に馴らして管理をしやすくし、遠方の国々から色とりどりの魚を取り寄せる。そして水槽は劇場型の殿堂へと規模を拡大させた。現在、毎年2千万匹を超える熱帯魚と1200万の珊瑚が欧米向けに乱獲されているという。著者は水族館ビジネスによる環境破壊に警鐘を鳴らす。

この人と一緒に考える

誕生日を知らない女の子
誕生日を知らない女の子 後を絶たない児童虐待。私たちは、幼い命が失われたと聞けば憤り、寸前で救い出されれば胸をなでおろす。だが、命をつないだ子のその後に思いを巡らせることはまずない。虐待の現場から救い出された子は、どのような人生を送っているのか。5人の「その後」を丹念に追ったのが本書だ。  5歳でファミリーホームにやって来た雅人くんは無表情。一言もしゃべらず、束ねたカーテンに隠れてしまう。小学6年生の明日香ちゃんは自分を虐待した母の元に戻ることを希(こいねが)い、「奴隷でもいいから、帰りたい」と訴える。それぞれに壮絶な人生だが、目を背けず読み進められるのは、虐待された子を引き取った大人たちの献身的なまでの朗らかさと、著者の淡々とした筆致の故か。  本書は週刊朝日での計8回の連載がもとになっている。全面的に再取材した作品は今年度の開高健ノンフィクション賞を受賞した。  虐待がいかに深く、長く、子どもの心に傷を残すのか。そして、再生にはどれほどのエネルギーが必要になるのか。そのことを痛感させられる1冊だ。
金遣いの王道
金遣いの王道 ン十万もする高級スーツを着ているのに、なんだか下品に見える人。バブルの頃によくウロウロしていたが、どうも日本人はお金の使い方が下手らしい。お金とうまくつきあうにはどうしたらいいか。リンボウ先生と投資のプロの岡本氏がお金をめぐる哲学を語る。  アメリカのマネー教育に使うという豚の貯金箱が面白い。「使う(消費)」「貯める(貯蓄)」「譲る(寄付)」「増やす(投資)」の4つの目的に分けて入れるようになっていて、子供たちはお金をどう使うべきか、自然に学んでいく。  日本では投資や寄付に関心が薄いが、モラルの高い会社を選んで投資したり、寄付で誰かを支援すれば、社会をよりよくしていくことができる。私たちに欠けているのは、こうした社会的なビジョンだと指摘する。  岡本氏の知人の話が印象的。貧しい新聞配達少年だったとき、あるおばあさんのうちで勉強のために新聞を読ませてもらっていた。実は彼女自身は新聞は読まず、ただ彼のために購読していたことを大人になってから知った、という。お金を美しく使うことは人生を美しく生きることでもあるのだ。
世界は球の如し
世界は球の如し 宇宙船からの映像で、地球が海陸模様の一枚皮を着た丸い天体であることは疑いを容れない。それでも地べたにはりついているとボールの上で暮らす実感はなかなか持ちにくいのだが、飛行機もない幕末からその発明後も実用未だの明治にかけて、東回りに、西回りに海山越えて世界はつながっている、地球は丸いと肌で知った先人の事績を本書は伝える。  五大陸すべての土は踏まないまでも、著者が独自の物差しで認定した世界一周の猛者の素顔は様々だ。  海外視察の命を帯びた幕末明治の役人。鎖国下、欧米やロシアの船に救われ幾年を経て日本に帰り着いた漂流民。学者。時代を先駆けた豪華クルーズのハイソな観光旅行。どの例も当時を思えば大冒険に等しい。とりわけすごいのが「五大州探検家」を標榜、韓国を起点に掛け値なしの世界一周を、しかもヒッチハイカーさながらの無銭旅行で貫徹した愛知県出身の帽子商中村直吉の猪突猛進だ。出立は1901年、この時36歳。中村は07年に戻り60カ国約24万キロの旅を終えている。いやはや大変な風来坊がいた。
日米衝突の萌芽
日米衝突の萌芽 このたび山本七平賞奨励賞を受賞した。著者は開国の地、静岡・下田市出身。カナダ・バンクーバーにも居を構え、太平洋の東西から日米関係を捉える。2年前に出版した『日米衝突の根源 1858-1908』の続編。  米によるフィリピン植民地化から、第一次世界大戦終結までを扱っている。フィリピン領有で地政学的に一気に近くなった日本の脅威論、カリフォルニアでの排日運動、それを利用した独の日米離間策に、米は日本を仮想敵国としていく。米の協力で日露戦争に勝利し、列強に肩を並べた思いでいた日本にとって、米の急激な変化は戸惑いとともに反発を内包していくことになる。  この時期の両国の為政者と国民の感情のもつれが、開戦を引き起こす「萌芽」となったと指摘する。564ページの大著だ。  名作『昭和二十年』の著者で、歴史家の故鳥居民氏から「君ならできる」と激励を受け、開国から開戦に至る日米関係をライフワークとしている。膨大な米側の論文や資料を読み込み、鋭い推理をもって時代を解き明かしていくのが著者のスタイルだ。
昭和の犬
昭和の犬 昭和33年生まれの柏木イク。嬰児の頃からさまざまな人に預けられて育ち、5歳から実の両親と暮らし始める。シベリア抑留経験者の父は癇癪持ちで、そんな父との結婚に失望している母は、娘に愛情を注ぐことがなかった。イクは滋賀から東京の大学に進学し、卒業後は庶務の仕事に就く。恋にも無縁なまま、東京と滋賀を往復する遠距離介護。やがて自らも病を患い、49歳になっていた。  激動の昭和を生きた女性の奮闘記や、犬との友情物語を期待すると、肩すかしを喰らう。イクの傍らにはいつも犬がいた。雑種の犬、近所の姉妹が飼っていたコリー、大家がかわいがっていた小型犬。平凡な人生の時々に、犬との関わりがあった。ただそれだけだ。表紙の犬が遠くからこちらを見ているように、本書も遠景からイクの人生を掴み、淡々と語る。  「犬が笑うとこを、一回、見てみたいもんやね」とイク。分かりやすい幸せはなくとも、犬との交流や、その時の心の安らぎがイクを包み込んできた。読了後にようやく、地味でも滋味深い人生の温もりが伝わってくる。イクは確かに犬の笑顔を見ていた。
雨のなまえ
雨のなまえ この短編小説集に登場するのは、地味で平凡だけれど、ときどき小さな幸せが訪れる人生を願っているような人々ばかりだ。しかし、そんな慎ましい人々にも試練の時は訪れる。愛にまつわる、甘く苦しい試練が。  「記録的短時間大雨情報」の女主人公は、自宅で義母と暮らし始めたばかりの主婦だ。同居は突然のことであり、彼女の本意ではないが、すでに夫婦関係は冷め切っており、夫の協力は期待できそうにない。少しボケがはじまっていて盗癖もある義母の世話をしながらスーパーで働くうち、学生バイトの男の子に恋をしてしまった彼女を誰が責められるだろう。妻、母、嫁。誰かにとっての自分でしかない人生から目を逸らしたい……やるせない思いを責めているのか、慰撫しているのか、物語の中で雨はどんどん強くなり、激しさを増していく。収録された5つの作品全てに雨のシーンが登場する。渇きを癒やす雨、全てを奪いさる雨。ページの向こう側から聞こえてくる雨音にそっと耳を澄ませ「雨のなまえ」を考えるのは、わたしたち読者の仕事なのかもしれない。

特集special feature

    石田徹也ノート
    石田徹也ノート 遊園地の古びた遊具の飛行機と一体になり、悲しみを湛える背広姿の男。牛丼屋のカウンターでそれぞれ無表情な店員からガソリン給油のノズルを口に差し入れられている3人のサラリーマン。人が均一化され、ものとして扱われる現代の不安や孤独、悲しみを、精緻に、体に突き刺さる痛みとして描く石田の作品群は、2005年に31歳で亡くなってからも多くの人々を揺すぶってきた。  本書は、今秋の足利市立美術館を皮切りに、15年春まで4カ所で開催される巡回展の図録だが、同時に書籍として刊行された。掲載されるのは、作品だけでなく、おびただしい数のアイデアスケッチ、下絵、言葉。「僕の求めているのは、悩んでいる自分をみせびらかすことでなく、それを笑いとばす、ユーモアのようなものなのだ」と書く。アイデア出し1日3個というノルマを自分に課し、親からの仕送りを断ち、工事現場などの日雇いで生活費を稼ぎ、制作に没頭した。  絵画を武器に、愚直に思索し、生真面目に現代に向き合った若者の生涯が、本書にはびっしり詰まっている。
    歩く
    歩く 『森の生活』の著者による、講演をもとにした晩年のエッセイ。社会よりも自然の中で生きることを選んだアメリカ人の思想家が、絶対的な自由と野性の美しさを説く。  「歩く」ことは、「聖なる土地」へとさすらうことにつながるとソローは述べる。それは余暇と自由と独立を必要とする営みでもある。19世紀、ニューイングランドの人口2000人ほどの町に暮らしていた彼は、毎日4、5時間、距離にして2、30キロを歩いた。家の戸口から、一軒の家のそばも通らず、森に分け入り、ボートやスケート靴を使って川や湖の上を行く。つまり、個人の所有の境界を自由にまたいで黙想するのだ。「詩人とは、風や川を自分に仕えさせ、自分のために語らせる者」。ときおり箴言のような表現を織り交ぜ、知識の過剰に対する無知の好ましさを綴る。  冒頭には他書の断章や20世紀初頭の風景が挿入され、詩的で預言者的なエッセイへと快く導かれる。また、後半には著者の生前のエピソードを収め、彼女の父親に反対されて実らなかった恋や、税の支払いを拒否した結果の投獄事件にも触れる。
    大江戸恐龍伝 第一巻・第二巻
    大江戸恐龍伝 第一巻・第二巻 超自然的な物語創作に長けた作家が、江戸時代の奇才、平賀源内を主人公に、空想上の産物である恐龍と出くわす長編小説を著した。構想から完結まで20年がかりの大作だ。  源内は、エレキテルの製作で知られる才人である。鉱山開発、絵画、俳句、小説、浄瑠璃などに手を染めるかたわら興行師にもなり、物産や本草学に通じる。だが、その博識に見合う偉業は少ない。秩父の金山開発に失敗し、44歳で失意のなか大坂に留まっていたが、ある寺で「龍の掌」を見せられ、ニルヤカナヤと呼ばれる黄金の島と、そこに住む恐龍に興味を抱く。和蘭陀(オランダ)国と盗賊集団火鼠も琉球絵文字の謎を解こうと暗躍。舞台は長崎や江戸にも移り、豊臣家の末裔がニルヤカナヤに落ちのびるという驚きの仮説に導かれる。  愛嬌があり、身分の隔てなく交際する源内だが、ひとつのことにじっくりと腰を据えることができない性分だった。もてあました才が想像上の動物を社会に引きずり出したのか。田沼意次、円山応挙、杉田玄白、上田秋成らも登場。全五巻で、第3巻以降は今後毎月末に1巻ずつ刊行される。
    ミツバチの会議
    ミツバチの会議 ミツバチは晩春から初夏にかけて、新しいコロニーを作るために群れの3分の2が巣を飛び立つ。一万匹ものハチがどうやって新居の場所を選択し決定するのか。ハチの集団意思決定の驚きのメカニズムを解き明かす。  まず数百匹の探索バチが十数カ所の候補地を選ぶ。尻振りダンスで仲間に知らせ、仲間が場所を確認しに行く。ただそれだけを数時間から数日間繰り返すだけで、全体の意見が魔術のようにベストの場所に集約される。  彼らはすべての候補地を比較検討するわけではない。ただランダムに一つ選んで見に行き、自分の評価を下すだけだ。著者は良い候補地ほどダンスが強く時間が長いことを発見、ダンスを繰り返すと良い候補ほど支持者が飛躍的に増加するからくりをつきとめる。一匹ごとの判断に誤りがあっても、集団で繰り返し評価することで見事に正しい選択にたどりつく。シンプルかつ数学的美しさにほれぼれする。  著者は人間の会議もハチの方法を使えばよいと書く。最高の集団知を得るには「他人に流されず自分の意見を述べること」。ハチの如く。そう言われるとちと耳が痛いが。
    結婚できないのはママのせい?
    結婚できないのはママのせい? 「人生うまくいかないのはママのせい」と思ってしまったアラサー独身女性への「母親からの独立のすすめ」が本書のテーマだ。著者は女性や若者を支援するキャリアカウンセラー二人。子育て中の女性や、結婚を考えている男性にも発見がある。  就職したら「どうしてそんなに仕事が大変なの? 辞めちゃえば?」。適齢期になると「あなたの年にはもう、ママはあなたを産んでたわよ」。筋の通らない母の助言に振り回される娘。女性の生き方が変わり、専業主婦が当たり前の世代と、女性も働く世代との間で、価値観に溝ができたのだ。だからこそ、母と距離を置いて自分の価値観に従って生き、自力で幸せを見つけようと説く。恋愛、結婚、仕事、家族関係の局面ごとに母と娘のすれ違いを指摘し、「娘を保護する」という母親役に解雇通知を渡すことを勧める。  解雇された母の行く末は? 娘を見守りつつ、自分の幸せを追えばよい。娘が幸せな姿を見せて親離れするのが、最大の親孝行なのだ。すべての人に優しい眼差しを向けた本だ。
    アナーキー・イン・ザ・子供かわいい
    アナーキー・イン・ザ・子供かわいい 著者の別名は「マキタスポーツ」。お笑い芸人でありミュージシャンであり俳優でもあるが、本名での執筆活動も盛んだ。このエッセイのテーマは「子育て」。ふたりの女児の父親として、現在進行形の子育てを語っている。  「よその子が可愛いのは、犬や猫が可愛いのと同じ」であり「我が子の場合はナンバーワンのオンリーワン」であるという指摘は、子を持つ親なら誰しも納得しそうだが、その思いが愛情などという生ぬるいものではなく、一種の「狂気」であると喝破するところに著者の観察眼が光る。彼にとって運動会は「皆が皆、自分の子供を世界の中心とし、他を周辺とする異様な場」であり、自分の子供だけしか見ていない親たちを「狂ってる」などと思いながら、結局は自分も同じ熱に浮かされ「アナーキー・イン・ザ・子供カワイイ」という曲を書いてしまう。「俺の子を可愛がりやがれ!」と歌い上げ、娘とお風呂に入れなくなる日を想像して怯える。狂気の先にあるおかしさはどこか温かい。ここには、格式張った教育書が絶対に教えてくれない親の生態が記されている。

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