「新書の小径」に関する記事一覧

禁欲のヨーロッパ 修道院の起源
禁欲のヨーロッパ 修道院の起源
大塚ひかりの『本当はひどかった昔の日本』を読んで「いやー昔はいろいろムチャクチャだった」と思っているところにコレを読んでしまって「昔がひどかったのは日本に限らず!」と思った。  この本は4世紀からのローマやギリシアの禁欲の生活について書いてあるんですが、のっけの「子供が生まれてから数カ月の育てられ方」で驚かされる。板に縛りつけて包帯ぐるぐる巻きにするとか。全身纏足か! 「ローマの赤子はまるで本物のミイラのような姿で、一切の自由な動きを奪われ、美しい(とローマ人が信じた)体形と顔形を得るために、二ヵ月半かそれ以上を過ごすのである」と歴史学者は書いている。その様子を写した粘土像の写真も出ていて、こりゃてっきり死んだ赤ん坊の棺桶かと思ったですよ。  性行為の意味についても深く考えられていて、古代ギリシア人は、呼吸が血液に乗って体中をめぐりめぐるうちにどんどん濾過され純化されて最後に睾丸で精製されて精液となって出る……と考えていた、などという話は感心してしまう。すごく実感に溢れている。で、その大事な精液をきちんと使うべく、やり方を細かく説く。「男性の同性愛はより暴力的であり、したがってより大きな疲労をもたらすので、異性愛のほうが健康によりよい」などと断言されると「そうとばかりも言えないのでは……」とつぶやきたくなるが、でもあまりの威風堂々さに呆れて物も言えず。  こういう世の中だったからこそ「禁欲」という考え方も出てきたわけで、主にキリスト教における禁欲の有様が描かれる。この時代の修道士の暮らしっぷり、私が主に注目するのが食事である。最高のご馳走はパンに油を垂らしたものですって。そういうなかで、「パンにしばしば無花果が添えられた」とかいう文が出てくると、やけに美味しそうなのである。ふと、そういう生活に入ってみたくなる気すらする。でも私は現代人で昔よりマシな思想と生活があるので踏みとどまるのである。
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女流官能小説の書き方
女流官能小説の書き方
エロ小説は簡単に書けるんじゃないかという錯覚がある。エロシーンさえ書いてあればそれはエロ小説であり、エロシーンさえ書いてあれば客は喜ぶからいいのだ、と思われてるような。「そうはいかない!」と作家としては言いたいところだろう。  女流官能小説家が官能小説の書き方を指南、という本は前にも読んだことがある。男の官能小説家による書き方読本もけっこうあるんだけど、女流小説家のほうが売り物にされてる感じはある。きっと「女で官能小説書くなんてよっぽど好き者に違いない、と思う浅はかな男が多い」ってことなんじゃないかと邪推する。それなら、女流官能小説家の書くものがものすごく「男が書くものと違う」かというと、私の読む限りはそんなに違わない。女だからこそ、男が書く以上に男を喜ばせる技を盛り込むことがこんなに可能なんですよ! というあたりを説いてくれれば「なるほど~」と感心して読むのだが。  さて、この本は「女流官能小説の書き方」となっていて、しかも「官能小説を書いてみたい女性のため」の本だ。「女性にも納得してもらうには、男性にはわからない女性心理が要る」し、その逆もしかりだと書いてる。  著者の藍川さんが、ご自分の著作の中からエロシーンを抜粋して、不倫、複数プレイ、同性愛など、官能小説のいろいろな種類を解説するという体になっていて、エロ場面アンソロジー本として読める。そして舞台、展開、濡れ場、官能表現などの項目で、書き方を指南している。藍川さんは、そこに至るまでのシチュエーションや、心の動きが重要である、と言っている。「いちばん大切なのは性愛を妄想すること」だと。私はエロシーンだけで充分イイけどなあ。  これは嗜好の問題かもしれない。私は女だけど、明らかにおっさん向けの、おっさんが書いたエロ小説のほうが好きだからなあ。とにかく自分が興奮できるやつを地道に探すしかない。それで無ければ自分で書く。それしかあるまい。
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新京都学派 知のフロンティアに挑んだ学者たち
新京都学派 知のフロンティアに挑んだ学者たち
人として暮らしていれば、たとえ王様だってままならぬことはあり、そんな時に知性があれば正しく生きることができるだろう。知性は良心と密接に関係している。良心とは結局のところ「他人の権利を尊重する」ことに尽きる。で、この良心をちゃんと意識する知的職業=学者が最近少ないんじゃないのか、と思うことが多くなってきた今日この頃、この本で京都の特異性というか優位性みたいなものを感じた。  桑原武夫をリーダーとして今西錦司、貝塚茂樹、上山春平、梅棹忠夫、梅原猛、鶴見俊輔などが集まった「新京都学派」と呼ばれるグループがあった。戦前に「京都学派」があり、これは西田幾多郎、田辺元、和辻哲郎ら「哲学者の学風」をもったグループだった。戦後にスタートした「新京都学派」は「京大人文科学研究所の学際的な学問スタイル」をもっていて、彼らが学者としてどのように日本の知の一端を担ったのかが書いてある。なにしろ「横文字を縦に直すことを学問と錯覚している学者」はおらず、なおかつ、そこに記されるエピソードがいちいち品が良くてかつ知的。大教授が物静かで、なおかつ気さくで、さらにきちんとしている、などというのを読んでいると、ああ選ばれた人による選ばれた世界というのがあるのだなと感じ入る。  で、いちばんひっかかるのもそこだ。京都に住んでいた時、歩いていたら京大人文科学研究所の建物があり、それがコロニアル調っていうんですか? いかにも素敵な建物なんですよ。今出来ではぜったいにムリな、美しくゆったりとした建物。建物見てるだけでも「選ばれた人びと」であることはわかるのである。  登場する学者は、なんか誰も彼も恵まれてるというか、その余裕によってもたらされたリベラルな知性なんじゃないか、という気持ちが起きる。なぜか東京の学者にはそういう気持ちにならないんだが、それはやっぱり京都の学者のカッコ良さのせいでしょうなあ。
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仏像鑑賞入門
仏像鑑賞入門
仏像マニア、仏像ファン、仏像愛好家といろいろ増えてきた。仏像といっても数が多く、それぞれにファンがついているので、「私はロック・ファンです」と漠然と言ったら、ビートルズ・ファンとストーンズ・ファンにそれぞれ「どっちが好きなんだ? ええ?」と詰め寄られるような状況が、仏像ファンの間にも増えている……かどうか知らないが、私なら人が仏像好きだと言ったら「ほおー、では何をお好みで? はあ、●●寺の●●菩薩? ほお、それはそれはよいご趣味で(といいつつ、まだまだ素人だなフフフと思う)」という方向に話が行くに違いないので、昨今出ている、ゆるい仏像本はつまんなくてしょうがない。  この本もタイトルで、よくある初心者向け仏像鑑賞本に過ぎぬかと判定を下しそうになったのだが、読んでいったらけっこう面白い。秘仏について書いた章がある。秘仏とは非公開の仏像のことで、秘仏を中心とした見方をした仏像本は案外少ないので新鮮である。そして秘仏の「開扉の間隔が長いものになるほど、質的には劣る」という意見がさりげなくズバリと書かれているのも、これはよく仏像見てる人だとわかるのである。60年1回開扉の仏像よりも年1回開扉の仏像のほうがモノは落ちると思いがちだ。でも、それは逆で、イマイチだからこそ、「営業戦略」として開扉の間隔を延ばして付加価値を高めている、と。寺は怒るかもしれないが、笑って納得してしまった。  そして鎌倉仏についての記述。オークションで海外に流出しそうになったことなど、ちゃんと運慶仏についての現代の下世話エピソードとかも書かれている。さらに運慶一族についての、けっこう身も蓋もない評価が面白い。出てくる仏像がけっこうマニアックで、私と仏像勝負できるぐらいの筆者だとわかる。が、そのマニアックさは一読しただけでは伝わらず、つまりギラギラしてなくて、島田裕巳さんの人柄の良さが出ちゃっているのだった。
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戦国武将と男色 知られざる「武家衆道」の盛衰史
戦国武将と男色 知られざる「武家衆道」の盛衰史
男色なんていうとつい飛びついてしまうのだが、男色関係の歴史本は案外つまらない。書く側が「こんな男色があったらいいな~」という願望から真実をねじまげて、それらしく書いてるのがけっこうあるからだ。だが、この本は、その手の牽強付会本ではない。 「戦国時代の男色」にありがちなイメージ、たとえば男色は戦場で生まれたとか、武士のたしなみであったとか、多くの武将が男色で出世したとかについて、戦国史研究家が史料を綿密に調べた上で「実態に即していない」とバッサリ斬る。戦国時代に主従強化のために男色が活用された事実は見つけられず、むしろ男色は家中の乱れを生むものと見なされていた様子すらあるようなのだ。足利義満と世阿弥の関係も、男色による寵愛みたいなことになってるが、身分の低い者が主君に寵愛されてのし上がるという図式でいえば、それは男色に限らず、豊臣秀吉だってそうだろうと言われて、「ハッ、そうか」となる。 「江戸時代成立の戦国物には、無暗に美童が現れて寵愛されるが、いつも都合よく美少年が現れるのは不思議である」という記述など笑ってしまった。ボーイズラブ小説など読んでると「都合よく美少年が現れる」のばっかである。江戸時代の人も現代人も本質は変わらないってことか。  もちろん、戦国時代に男色が皆無であったわけでない。「確実な男色」を紹介している。そして、その時代の男色は、それほど美しいお話じゃないことも教えてくれる。やっぱりあからさまに「尻で出世」なんてことは、当時でも「笑い物」になったことだし、周防の大内義隆など、それで滅んだ大名もいる。  伊達政宗も男とよろしくやってたらしいが、そこにはロマンもなく、ただ「男とも楽しみました」って感じのようであるし。つまり、今も昔も同性愛は「ふつう」のことであって、ただの恋愛にすぎないという醒めた事実がわかるのである。
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オスカー・ワイルド「犯罪者」にして芸術家
オスカー・ワイルド「犯罪者」にして芸術家
読んでいたら足元がグラつく思いになる。  オスカー・ワイルドといえば『幸福の王子』の作者で同性愛で投獄されてけっこう美形、とそこで止まっていた。そういや『獄中記』を学生時代(30年前)に買ってまだ読んでないわ。本棚にはある。なんかカッコイイような気がして。……と、そう思わせる作家なわけですよ、ワイルドは。  英文学者によるこの本でワイルドの生まれや育ちや、どんな交友関係があってどんな仕事をしたのかを詳しく読んでみて、両親どっちもアクが強いのも驚いたが、もっと衝撃だったのが「うわっ、ワイルド、やりまくり!」である。いや、四六時中っていうんじゃないが、学生時代から同性相手にいろいろやっている。こちらの勝手な想像では「内気で物静かな美青年が同性を愛する煩悶」みたいな図ができてたのだが……。  ところが、ワイルドは目立ちたがりなんですよ。恋愛も軽い感じだし。とにかく有名になることを人生の目標とする。そこにもってきて、運動が苦手で本が好きな若者がよくかかるハシカみたいな「ワタシは美を追究するために天から遣わされた使徒と思い込む」振る舞いも目につく。うわー恥ずかしい。  と、嗤いながら読んでたのだが、しかしふと我に返る。この人はオックスフォードで成績優秀で(落第もしてるが、それもまた無頼な感じで良し)、詩作で賞取ったり戯曲を書いてそれが上演されて人気になったり、とにかく才能があるわけですよ。で、ウィットに富んで、たちまち人を惹きつける。「ボクは選ばれた者」と勝手に思いながら知らぬ間に年とっていく人間がほとんど全員なのに、こうして後世まで作品を残すんだからすごいじゃないか。  彼の人生の終わりの頃、よその少年を見て両頬に口づけをし、生き別れた我が子を思って泣く、という話は胸がつまった。その子供の小さい頃の写真も載ってるが、これがものすごく可愛いんだ。泣けるほど可愛い。
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知って感じるフィギュアスケート観戦術
知って感じるフィギュアスケート観戦術
自分の周囲でフィギュアスケートがあまりにも熱いので乗ってみようかと買ってみた。  とはいえフィギュアという競技はどうも難しくてなあ。男子も女子もあの衣装がなあ……ドン小西が言う通りのオバサン趣味。金をかける方向性を間違えているとしか思えない。そして、競技の勝敗がどこで決まるのかよくわからない。そりゃ転んで尻餅ついたら失敗なのはわかるが、キレイだなーと思ったら点数イマイチとか、イケてないなと思うと高得点とか。  今、ネットのフィギュア界隈が異様に熱いのは、そのわからなさがファンの疑心暗鬼を生んで、浅田真央ちゃんが優勝できないのはキム・ヨナの陰謀、みたいなことになっていることだ(たぶんキム・ヨナ・ファン側からは別の陰謀が見えてるのであろう)。こういう考えの行きつく先は「自分の応援する選手が優勝できないのはすべて陰謀のせい」となってある意味無敵なのである。まあ私も、大好きな安藤美姫は、ああいう奔放そうな外見で必要以上に嫌われてる! と怒ったりして、もっと冷静になろうと考えたこともある。  トリノ五輪金メダリスト荒川静香によるフィギュア解説。スピンや回転の種類とかが詳しく解説してある。ただ、6種類のジャンプを絵で説明してるんだが、これが見てもその違いがわからない。ページの端っこにパラパラマンガにでもしてくれればわかりやすかったんではないか。  でも、それ以外の、荒川さんによる技術解説やスケート選手生活の説明は面白い。浅田真央とキム・ヨナの、それぞれの長所がどう違うかということを公平に書いてある(と思ったら、これにも「荒川さんは●●のほうに肩入れしてる! ●●国の陰謀に取り込まれたのよ!」と怒る人がいたので驚いたが)。あとはスケート靴の「合うものを見つける難しさ」がこんなにすごいとは思わなかった。しかし、あのフィギュア衣装の独特の美意識については触れられておらず、多少残念な気持ちである。
ソチ五輪フィギュアスケート新書の小径
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日本写真史(上)幕末維新から高度成長期まで
日本写真史(上)幕末維新から高度成長期まで
写真評論家によるこの本は上下巻とあるが、上巻(1848~1974年)だけでも充分に面白い。後に下巻(1975~2013年)も買いましたが、読んでいて思うところが多いのは上巻のほうだったので、今回はそちらで行きます。  まず、パラパラとページをめくって“日本の写真史における、最初期(幕末)から70年代の写真”を見る。それだけで山ほどの感想が湧きでる。いちばんは「写真て、ぜんぜん古くない(=ぜんぜん新しくない)」ってことだ。  もっとも古い写真に、島津斉彬(なりあきら)の肖像写真があって、あまり鮮明ではなく傷もたくさんあり、それがいかにも古いと感じさせる写真だ。でも、よく考えると、こんなピンボケ写真は現在の私がよく撮ってしまうし、傷に至っては「写真にこういう傷をつける」アプリなんてのが何種類もあったりする。島津斉彬が今ひとつのルックスなので「古さ」が増長されているが、これがイケメンで目に力のある被写体だったりしたら、今に通用するカッコイイ写真としてもてはやされるだろう。  19世紀末~20世紀初頭に撮られた風景写真の、異様なまでの質感はなんなんだ。絵だか写真だか、現実なのか幻なのかわからない、見ていてクラクラくるすごいやつがある。「田原坂弾痕の蔵」っていう写真なんてすごいですよ。立ち読みでいいから見てみてほしい。これが前々世紀に撮られてる写真か。  今日ならギャラリーで展示されてるような、「板塀」とか「農民の手」とか「傷跡」とか「廃墟」とかの写真も、思った以上に昔からある。それがぜんぜん古くない、というか今撮った写真といわれても気づかないだろう。なんと古びないセンス、と驚くと同時に、写真って今もこのセンスなのか、とも思う。  つまりは、写真の新しさ古さってのは、被写体の新しさ古さ以外ないんだろうか、と考えこまされて、面白いような不安なような気持ちにさせられるのである。
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ザ・タイガース 世界はボクらを待っていた
ザ・タイガース 世界はボクらを待っていた
私が物心ついた頃にはタイガースは解散しちゃっていたが(確かやはり解散したテンプターズ、スパイダースのメンバーたちとPYGを結成するとかの時期だ)、とんでもなく人気があったグループであったことはわかっていた。しかしリアルタイムで知らないので、「当時の空気の中でその音が流れたらどうだったのか」という実感はわからない。しょうがないから書籍で研究、ということになる。  タイガースはオリジナルメンバーで再結成ライブがあるせいか、最近よく関連書籍が出ている。そういう本を端から読んでみて思うのは、やはりタイガース時代の沢田研二を見たかったということだ。だって、大人しくて物静か、でもみんなの視線を惹きつけてしまうって、中学高校生あたりがマンガの主人公に設定したくてしょうがないようなキャラクターじゃないですか。今、藤山直美と共演して浪花のアカン男を演じる沢田研二も充分にステキなオッサンだが、若い頃はさぞや。  そして謎が深まるのが、六九年に「失踪」がニュースとなった加橋(かはし)かつみの存在ですよ。いつまでたってもこの人の素顔がよくわからない。でも、存在感は沢田研二とはまた別の種類の大きさっぽい。私が高校生ならこっちにハマるかもしれない。  本書はいろいろあるタイガース関連書籍の中で、一冊読んだら「タイガースのいろいろな概略」がわかった気分になれる良書です。でも「わかった気分」だけじゃ物足りない人もいるだろう。この本に多数引用されている『キャンティ物語』『俺は最低な奴さ』『安井かずみがいた時代』はみんな読んでるが、これらを読んでもタイガースの全貌はわかりません。周辺情報(たとえば当時の文化サロン「キャンティ」方面とか)には詳しくなるのだが。  タイガースの蟻地獄にハマらぬためには、この本を読んで「わー、タイガースはすごかったんだなあ」と思っておくぐらいが適当なのではないだろうか。
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現代中国悪女列伝
現代中国悪女列伝
外国政治のことは、テレビに映るその政治家の人相で決めてしまったりする。薄熙来(はくきらい)事件なんて、習近平が悪相寄りのルックスなので、中国4000年の権謀術数により陥れられたんだろうか、などと考えていた。そしたら薄さんの奥さんまで殺人罪で執行猶予付き死刑判決!  で、この本では薄さんの妻・谷開来(こくかいらい)の悪女ぶりがたっぷり書かれています。いやもう、中国には何があっても驚かない構えはできておりますが、こうまで「革命の国でえらくなった人びと」が下世話だと衝撃ですよ。  登場人物の親は党の要人でありながら政治闘争に敗れて地方に飛ばされツライ目に遭い、しかし名誉回復で都会に出てきて、また野望と努力で地位を上り……って、あら? なんだか立志伝中の人みたい。そこに「肉体関係」や「不倫」や「三角関係」や「整形」や「銭ゲバぶり」などをふりかけることにより、立志伝がいきなり韓流ドラマ、いや中華ドラマに。これを読ませれば、谷開来が相当な奴と思わせるのは簡単であろう。  他にも、中国要人の奥さんたちがジャーナリストによって紹介されます。だいたいが「女を武器として中国共産党のエライ男を籠絡(ろうらく)→でも男はすぐ他の美人へ→女としての寂しさをまぎらわすため政治にのめりこむ」という図式で、多くの“悪女”が量産される中、とくに江青女史のスゴ者ぶりはきわだっている。  嫉妬深さと復讐心。嫉妬は自分もたいへんに深いので、劉少奇(りゅうしょうき)の奥さんである王光美の美貌を憎んだ江青の気持ちはよくわかる。こっちはただメラメラするだけで力がないから復讐できないが、私の夫が毛沢東だったらばんばんやっただろう。無力の夫でよかった。  でもさ、ことさらに悪女ばっかりあげつらわなくてもいいんじゃないの? 中国なんかもっと悪い男は山ほどいるぞ。だって、この本の悪女はほんとに「浅はかな女」っぽくて、オッサンが読んで溜飲下げそう。
中国新書の小径
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日本の路面電車
日本の路面電車
路面電車の走ってる町にいくつも住んだので路面電車には一家言ある。……と思っていたんだが、いきなり「路面電車萌え」とか書かれてしまうと多少たじろぐ。そんなもんにまで「萌え」かよ。しかし考えてみると、広島に住んでいた時、路面電車が四つ角を曲がってくる時の、巨大な青虫(緑色の車体なのです)がぐわーと体を曲げてるようなサマは、確かに胸をキュンとさせる魅力にあふれていた。  こんな本が出るところを見ると「路面電車に“ああ……もうたまりません”とあえいでしまう」人は案外多いんでしょうか。  北から南まで、日本を走るすべての路面電車を詳しく紹介してある。見ているだけで楽しい。路面電車というものがなぜこう胸をときめかせるかというと、「軌道」が決まっていて「そこをはずれることができない」という不自由さ、しかしそれがふつうに自動車とともに走っていて信号で止まる、という倒錯性。倒錯とまで言ってはますます理解を得られないか。もっとわかりやすく言うと、畳の上を土足でズカズカ歩く時のタブー感というか……さらにわからないかもしれませんが、とにかく路面電車って、セクシーな物体なのだ。萌え、というのもよくわかる。  各地の路面電車が走っているところの写真が満載なので「路面電車が走りそうな風景」もよくわかる。大都会でも地方都市でも、なんだか微妙に「狭い」。むりやりそこにちん入している。その狭さが、路面電車のない都市よりも親しみやすさみたいなものをかもし出しているとわかります。  路面電車は古い車輌でナンボ、と思っていましたが、ここに紹介される「最新型超低床車輌」を見ていると、それはそれでなかなかいいなと思えるようになった。超低床車って、文字通り床が低いから、地面をぬるぬると滑っているように見えて、その「ありえなさ」がさらに、路面電車のエロチックさを増すようで、こういう進化もアリなのだなあと感動できます。
新書の小径鉄道
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現代のピアニスト30 アリアと変奏
現代のピアニスト30 アリアと変奏
昔、NHKの朝番組では、今では考えられないようなものが紹介されていた。ある時は数年間連続で「H氏賞」(現代詩の賞)受賞者が出てきて詩の朗読をしていた。ねじめ正一が出てきて、詩の内容は忘れたがその「詩人の朗読」があまりにも印象的でよく憶えているのである。同じような時期に「外国の有名なコンクールで優勝したピアニスト」が登場して、それが清水和音という人であった。  若くきれいな顔でおまけに名前が「音楽をやるためにつけられた」ような「和音」、それが「かずね」っていうんですから。おまけにこの人は「男性」! ちょうどくらもちふさこの名作マンガ『いつもポケットにショパン』が連載されていた頃でもあり、美少年の清水和音がNHKに登場した時には色めきたちましたよ! 清水和音はやがてどこかに行ってしまったのだが(私の中でです)、ずっと心にひっかかっていた。今どうしてるんだろうかと。  この本で紹介されてました。  実に下世話な興味から手に取った次第ですが、ほぼ知らない世界について詳細に書かれたものを読むことになった。清水和音と数人の有名ピアニスト以外、名前すら聞いたことない。私など読んでいてまったく意味がわからないことが頻出する(何せクラシックに暗いもので)。知らない世界の知らない人について深く書かれたものを読むのはたいがい苦痛なもんですが、この本はそうでもない。全体にクールなのに、詩的な文章だからか。  清水については、「清水和音というピアニストの演奏が膨大な音符を費やし、なお清らかに凜として残っていくのは、そこにひとつの生き様が熱く強かに流れているからだ」と書く。一方、機械の説明をしてるような箇所もあって、それを読みながらピアニストが出す音を想像するのは楽しい。  さて、清水和音さんですが、写真が一葉ついていて、ツェッペリン解散後のジミー・ペイジによく似ていて、いろいろと納得ができた。清水さんのCDを買おう。
新書の小径
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この話題を考える
人生の後半戦こそ大冒険できる

人生の後半戦こそ大冒険できる

「人生100年時代」――。「20歳前後まで教育を受け、65歳まで働き、その後は引退して余生を楽しむ」といった3ステージの人生は、すでに過去のものになりつつあります。だからこそ、大人になってから人生後半戦にむけての第2エンジンに着火したい。AERAでは10月28日発売号(11月4日号)で特集しています。

50代からの挑戦
お金持ちの正体

お金持ちの正体

お金持ちが増えている。民間シンクタンクの調査では、資産が1億円以上の富裕層はこの10年以上、右肩上がりで、いまでは150万世帯に迫る勢いだ。いったいどんな人たちがお金持ちになっているのか。AERAでは10月21日発売号(10月28日号)で特集します。

お金持ちの正体
人気企業に強い大学

人気企業に強い大学

今春の各大学の就職状況が明らかになった。人口減による「売り手市場」が続く中、学生たちは大手企業にチャンスを見出し、安定志向が鮮明になった。「AERA10月21日号」では、2024年主要大学の大学生が、人気企業110社に就職した人数を表にまとめて掲載。官僚離れが進む東大生が選ぶ企業、理系女子が強い業界、人気企業の採用担当者インタビューまで最新の就職事情を余すことなくお伝えします。

就職に強い大学
焼肉べんり事典
焼肉べんり事典
この本にはいったいどういう意味があるのか、と思わず考える。意味は明確で、書名そのものの、焼き肉ハンドブックというべき本で、肉の格付けや銘柄牛についてわかりやすい説明がついている。産地別牛肉の特徴、なんてのもある。この特徴ってのが面白くて、東北の牛が「脂が濃厚で食べごたえのある牛肉が多い」のはいいとして、関東甲信越の「神奈川、千葉などの生産者の健闘が目立つ」という、これは牛肉の特徴といえるのか。いや、でも面白いからいいや。  さまざまな牛肉の部位、その呼び名、および写真が図鑑のように載っている。牛だけでなく豚も鶏も羊も載る。聞いたこともない部位があり、勉強になる。「とうがらし」なんて牛肉の部位はこの本を読まねばずっと知らぬままであっただろう。  しかし読めば読むほど、この本を読んで何か役に立つのだろうか、と思うのである。この本を手に取る人は、「こんど焼き肉行く時のために、肉の知識をわかりやすく仕入れよう!」と思うのだろうけれど(私もまあ、そうだ)、そういう人が行く焼き肉屋って、肉の種類なんて「ロースとカルビとハラミとレバーとタン」ぐらいしかないんではなかろうか(私の行く店はそうだ)。で、タレの味つけが激しくて肉の味も焼き野菜の味もみんな同じになる、みたいな。焼き鳥では「皮」と「ペタ」と二つの皮が紹介されてるけど、私がよく行くチェーン焼き鳥店にはペタなんてない。  でも、そういうこととは別に、眺めてるだけでなんか楽しい……というか飽きないというか、気がつくと一時間経ってたりして、時間をつぶすには絶好の新書です。こういう食べ物関係の本でつい眺めてしまうタイプの本は、読んでいるうちに口さびしくなってきて、そこらにある袋菓子を食べたりする。そのせいか「読んでるだけで太る」状況に陥るのだが、この本は、載ってるのが生肉のそっけない写真なので、口さびしくならないのはいいことだ。
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慶應幼稚舎の流儀
慶應幼稚舎の流儀
慶應幼稚舎の新書は前にも出ていて、慶應幼稚舎をホメそやしてあったが、どんな小学校だって探せばいいところも悪いところもあるだろう。私が通ってた武蔵野市立井之頭小学校にいい思い出はほとんどないが、救いようがないほどひどかったとも言えない。イヤな思い出にしろ、そのイヤな目が今の自分をつくったという意味で、それなりに意味があるだろう。しかし井之頭小学校の新書は出ない。  なぜ慶應幼稚舎か、といえば「有名で、入るのが難しくて、金持ちが多そう」というイメージが日本中に広まっているからだ。じゃあ現実はどうかと、この本が出るのもわからないではない。「六年間担任持ち上がり制」や幼稚舎には下駄箱がないなどの「理想の教育」が具体的に書かれている。だが、そもそもが親には金銭的にも精神的にも余裕があり、そういうところの子供が集まってる小学校も余裕綽々の教育が行われている。そりゃよかったね、としかいいようがない。  千住真理子らOBが幼稚舎を振り返っている。先生が児童と一緒になって落とし穴を掘って美女が落ちるとウハウハ、という思い出話を木村太郎が語ってるが、そんなことは慶應幼稚舎にしかないような話じゃないと思う。これが連続殺人でも犯した少年の担任の話ならネットで袋叩きだろう。そういえば灘中の国語の先生が教科書を使わず『銀の匙』で教えたそうですが、そりゃ灘中の生徒だから通用する方法だよなー。これが荒谷二中(金八先生に出てきた大荒れ中学)で成立するか?  つまり、選ばれた者の余裕がハナにつくのである。幼稚舎出身の女子が「幼稚舎の子って要領がいいんです」と語っているのを読むと「やはり共産主義革命は起きるべきだ」と思ったりする。「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」はいい言葉だけれど、そして今も慶應は福沢先生の教えを胸に突き進んでるらしいが、この学校の愛校精神みたいなものがダダモレになってるようで「ケッ」としか思えないのである。
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ツタンカーメン 「悲劇の少年王」の知られざる実像
ツタンカーメン 「悲劇の少年王」の知られざる実像
ツタンカーメンといっても、カーターが発掘した王墓やミイラの話ではなく、ツタンカーメン本人についての本だ。日本でツタンカーメンが人気なのは、未盗掘の王墓から発掘されたミイラだからとか、マスクがキンキラだからとか言われるが、そういうのはゴタクのように聞こえる。これだけ多くの人が食いつくのは「ツタンカーメンは美少年」だからだ!  エジプトのファラオの肖像を見ても、単なるオヤジの顔の人や、端正ではあるがつまらん顔の人などが大量にあり、ツタンカーメンほどそそられるルックスは歴史上でも珍しいのだ。山岸凉子先生が『ツタンカーメン』というマンガを描くのもわかるのである(あれはカーターが中心のマンガではあったが、ツタンカーメン本人らしき美形も登場する)。エジプト歴代王でもっとも有名なのに、たいした実績を残さず若くして死んで、いわば「宝物と顔だけ」みたいな扱いになっていた、そのツタンカーメンは実は……! というのだから血湧き肉躍るではないですか。  とはいえ、アレキサンダー大王みたいな活躍をしたわけではないので、明かされるのは、彼の人となりとか、死因とか、奥さんがどんな人かとかである。びっくりするのは、ツタンカーメンの奥さん(有名な『黄金の玉座』で、ツタンカーメンと仲良くしている絵が描かれている、なかなか美形な奥さん)が、彼と結婚する前に、自分の父親と結婚して出産もしていたようだ、って話だ。ただ、これは何も爛(ただ)れた近親相姦ではなくて、当時のエジプトでは「王が神であるために、神話の世界と同じような結婚をしていたから」という説明に納得する。確かに神話の世界、兄弟姉妹で夫婦とか普通だ。  ほかにも、死んだあと王朝はどうなったかなどが、古代エジプトの歴史研究者によって細かく書かれていて、そこにはそれほどドラマチックではないけれど、だからこそリアルで、あの美少年が大昔、確かに生きていたことが感じられるのである。
新書の小径
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秘境駅の歩き方
秘境駅の歩き方
「秘境駅」とは、鉄道の駅でありながら、駅を出てもそこに人家も道もない、というような「存在価値は奈辺(なへん)に?」と思わせる駅のことをいう。この秘境駅を世に知らしめたのが鉄道ファンの牛山さんという人で、文庫で出た秘境駅シリーズは、鉄道に興味もないのに夢中で読んでしまった。  いっとき、赤瀬川原平の「トマソン」(美しく保存された無用の長物的ひさしや塀や階段など)が面白がられたが、秘境駅もそれと似たものかもしれない。トマソンは無用物であり、秘境駅は「ちゃんと使われている」という大きな違いはあるものの。たとえば、一日に一本も列車が停車しない駅で駅員が改札口に座っている場合はトマソン駅になるかもしれないが、このご時世、そういうノンビリした物件は生き残れないだろう。  この本は、「秘境駅シリーズ」の続編であるようだ。ただし、狭い日本に秘境駅が無限に湧いてくるわけはないので、文庫で紹介されていた「超弩級の秘境駅」のようなものは出てこない。でも、そこは「ちょっと興味深い秘境駅」が、自分のうちから2時間ぐらいで行けるとしたら、こんどの休みはそこに家族で、と考える人も出てきそうだ。そこで、今回はもう一人共著者として西本さんという鉄道ライターが入り、「秘境駅までの旅行プラン」を提案している。私などはただ、秘境駅の存在を文章と写真で楽しむだけだが、行ってみたいと思う鉄道ファンや旅行愛好家がいるだろうから、これはいい方法かもしれない。ただ、近辺に何もないことを喜べる人ならいいが、そうでない人を連れていったりすると紛争になりそうである。  本書の中で「誰もいない入り江の奥にある」秘境駅として、「東京からも十分日帰り可能」な三陸鉄道北リアス線・白井海岸駅が紹介されている。おお、今、旬の、三陸海岸! しかし紹介文の中には「あまちゃん」の「あ」の字も出てきやしないという、そのストイックさ。鉄道ファンの心意気を見た思いがした。
新書の小径鉄道
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落語家の通信簿
落語家の通信簿
落語協会分裂騒動を書いた三遊亭円丈『御乱心』は、私の選ぶ「二十世紀名著三選」に入る。内容が偏っているという人もいるが、面白いんだからしょうがない。立川談志の人物批評なんか胸がすきましたね。さらに文章のスピードが気持ちいい。一般道を、うまく信号にひっかからず50キロぐらい出して走り続けるような気持ちよさ。「円丈はすごい文章家だ」と、その後の著書にも激しく注目していたのだが、どうも『御乱心』に匹敵するものがない気がしていたのだ。  だがついに出た! 現役落語家が現役落語家を批評する! 藤田伸二の『騎手の一分』が「現役のジョッキーが同僚批判!」とさんざんもて囃されてるんだから、こっちだって持ち上げるぞ。  これは面白いです。まったく落語を聴かない自分が読んで面白いんですから。最初は「落語の聴きかた」なんていう入門的なことが書いてあるが、すぐに各落語家への論評になり、超有名落語家から、聞いたことない落語家まで並べて料理される。落語家は他の落語家の噺をあんまり聴く機会がないらしい。それで、円丈はDVDやYouTubeで改めて見直した。そういう世界なのか。で、その「改めて見てみた感想」が新鮮でいい。センスが信頼できるのでこちらの気持ちにぴたっとはまってくる。ただ、これ読んで「この人の高座を聴きにいってみよう」とは思わないんだな。「もうこれでわかった」と思っちゃうから。  円丈の、落語家に対する好き嫌いがチラチラと見えるのもたいへん良い。そうか立川志らくのことは認めてないんだな。それよりも小朝に対する「好きじゃない」感が絶妙である。つられてキライになれる。私がいちばんウケたのは、立川談春を激ホメしてる福田和也を揶揄してるところ。「誰かを好きになるたびに、『彼一人いれば、全員死んでも、何の痛痒もない……』って言ってない? 惚れっぽくて、忘れやすいんじゃないですか?」だって。まったくだ。
新書の小径
dot. 11/6
仏像の顔 形と表情をよむ
仏像の顔 形と表情をよむ
仏像については一言言いたい人が最近増えているようで、それも女子のオシャレ趣味としての仏像愛好家が多いから、イヤな感じである。これは自分が40年来の仏像ファンなのに誰もチヤホヤしてくれなかった、という単なる恨みである。それにしても、最近の仏像ブームにおける「ゆるさ」は気になる。「カワイイ」とか「ハンサム」とか言えば、何か新しいことを言った気になってるが如き風潮には大いに異を唱えたい。  で、研究者が書いたこの『仏像の顔』も、そういうニワカ仏像マニアに媚びた本かと思うところですが、何せ岩波新書なので、そんな堕落したものではありません。とっつきやすい文体ですが、書いてあることはきちんと堅い。仏像の顔の表情は宗教として決まっているわけで、その決まりの中から、いろいろな国でいろいろな方向に変化していった、というような話で、ぜんぜんチャラチャラしてない。  仏像のセレクトも超定番であって新味は一切ないが、その見飽きたような顔について、なんでそういう顔になってるかを実証や予想を交えて説明してあるので興味深く読んでしまう。メジャーすぎてつい軽視していた仏像の顔をまじまじと見て、あらためてその魅力に気づく。法隆寺の伝橘夫人念持仏阿弥陀如来(たちばなふじんねんじぶつあみだにょらい)なんて、ナナメからのショットとともに、その「伏目がちの眼はよく見ると二重ですが」と書いてあるのを読んでると、何度も見て慣れ親しんだ顔がやけに魅力的に見えたりする。  しかし、私が昔からどうしても魅力があるとは思えない平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)の阿弥陀如来の紹介は、「顔は円く、張りのある頬と弧を描く眉、伏目がちの眼など、まさに『尊容如満月』です」とあり、その後の仏・菩薩の顔に継承された、というのがどうしても納得がいかない。作者である定朝(じょうちょう)がいかに優れた仏師であったかの逸話なども紹介されるのだが……どうしてもだめでした。しかし、いくら説明されても自分がこの仏像に興味が持てないこともわかるのでよかった。
新書の小径
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