AERA with Kids+ Woman MONEY aerauniversity NyAERA Books TRAVEL
関幸彦

関幸彦

プロフィール

●関幸彦(せき・ゆきひこ)
日本中世史の歴史学者。1952年生まれ。学習院大学大学院人文科学研究科史学専攻博士課程修了。学習院大学助手、文部省初等中等教育局教科書調査官、鶴見大学文学部教授を経て、2008年に日本大学文理学部史学科教授就任。23年3月に退任。近著に『その後の鎌倉 抗心の記憶』(山川出版社、2018年)、『敗者たちの中世争乱 年号から読み解く』(吉川弘文館、2020年)、『刀伊の入寇 平安時代、最大の対外危機』(中公新書、2021年)、『奥羽武士団』(吉川弘文館、2022年)などがある。

関幸彦の記事一覧

天皇が挑発した「女性が鬼に食われた」場所での肝試し 「いとさりげなく」こなした藤原道長の豪胆
天皇が挑発した「女性が鬼に食われた」場所での肝試し 「いとさりげなく」こなした藤原道長の豪胆 寛和元年(九八五)五月下旬の闇夜、花山天皇の遊び心から、闇夜の肝試しをすることになった道隆・道兼・道長の三兄弟(「三道」)は、それぞれの指定の場所へ向かう。当時は、物怪や鬼神は日常のものであり、兄2人が恐れをなすなか、道長は堂々と柱まで削って戻って来た。関幸彦氏の新著『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』(朝日新書)では、『大鏡』〈道長伝〉の中で描かれた藤原道長の豪胆さを表すエピソードを紹介している。一部を抜粋、再編集し、紹介する。
貴族政治の頂点に立った道長の対人スキルと、優雅さだけではない時代の風の“つかみ方”
貴族政治の頂点に立った道長の対人スキルと、優雅さだけではない時代の風の“つかみ方” 生きていく上で、人間関係のストレスは避けては通れないもの。それは当然ながら、藤原道長や紫式部が生きた時代にも共通していた。日本史上最も長い平安時代は、平安京にイメージ化される時期と、それから脱皮して京都と呼称される段階とに区別できる。十世紀以降の後者の“王朝時代”について、人物を介して時代を見直すアプローチを行ったのが歴史学者の関幸彦氏だ。関氏の新著『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』(朝日新書)から一部抜粋、再編集し、紹介する。
貴族の必須アイテムは「和歌」と「管弦」 道長と紫式部が生きた時代に起きた激動とは
貴族の必須アイテムは「和歌」と「管弦」 道長と紫式部が生きた時代に起きた激動とは 藤原道長や紫式部の時代は、東アジア世界の転換期にあたっており、その影響は日本にももたらされた。歴史学者の関幸彦氏は、古代律令システムが中国(唐)を“お手本”としたのと比べると、『源氏物語』を誕生させた王朝時代は、“お手本”が希薄になっていった段階だと説く。「真名」(漢字)から「仮名」(平仮名・片仮名)への転換、天皇号の漢風表現からの脱却は、大陸的文明思考からの離脱を意味するものだった。関氏の新著『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』(朝日新書)から一部抜粋、再編集し、紹介する。
優雅で、女性にはマメで…光源氏は貴族の「あるべき姿」 虚構の『源氏物語』が伝える真実
優雅で、女性にはマメで…光源氏は貴族の「あるべき姿」 虚構の『源氏物語』が伝える真実 五十四巻にわたる長編の大河小説『源氏物語』は、平安時代の大ベストセラーである。さらに後世にも絶大なる影響を与え続け、紫式部は男女の秘事を広めたため成仏できなかったという伝承まで広まった。『源氏供養』は式部の霊を供養することに力点がおかれた異色の作品である。歴史学者・関幸彦氏は、小説とはいえ、『源氏物語』がある種の実在性を以て、王朝貴族たちに迎えられていたことは間違いないと指摘する。関氏の新著『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』(朝日新書)から一部抜粋、再編集し、紹介する。
紫式部が地獄に堕ちた?異色の能の内容とは 貴族の心をつかんだ『源氏物語』
紫式部が地獄に堕ちた?異色の能の内容とは 貴族の心をつかんだ『源氏物語』 平安時代四百年。日本史上、これほど長い時代は他にはない。歴史学者・関幸彦氏は、この長期にわたる時代を、平安京にイメージ化される時期と、それから脱皮して京都と呼称される段階とに区別した。十世紀以降である後者の“王朝時代”について再考していく。藤原道長と紫式部に象徴されるこの時代は、優雅さや弱々しさとは異なる面も持ち合わせていた。まずは能の舞台ともなった『源氏供養』を元に、『源氏物語』の意味を関氏の新著『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』(朝日新書)から一部抜粋、再編集し、解説する。
鎌倉幕府が定着させた、朝廷と武家の「一国二制度」 700年を経て明治政府が再生させた「記憶」
鎌倉幕府が定着させた、朝廷と武家の「一国二制度」 700年を経て明治政府が再生させた「記憶」 鎌倉幕府から始まり、七百年続いた武家政権。朝廷との一国二制度となっていたが、その権力構図は東アジア世界にあっても特異だったという。日本中世史の歴史学者、関幸彦氏の著書『武家か天皇か 中世の選択』(朝日選書)から一部を抜粋、再編集して解説する。
反乱勢力だった鎌倉幕府 朝廷から委譲された権力と「神話」で求めた「正当性」と「正統性」
反乱勢力だった鎌倉幕府 朝廷から委譲された権力と「神話」で求めた「正当性」と「正統性」 鎌倉幕府の成立を皮切りに、天皇制から武家政権に移り変わった中世の日本。これまでの武家政権が求めた「正当」と「正統」を求めてきたという。日本中世史の歴史学者、関幸彦氏の著書『武家か天皇か 中世の選択』(朝日選書)から一部を抜粋、再編集して解説する。
「天皇と武家の二重奏が、日本国の権力的特色を演出」 日本人の通史の概念を固定化した「九変五変」とは
「天皇と武家の二重奏が、日本国の権力的特色を演出」 日本人の通史の概念を固定化した「九変五変」とは 鎌倉幕府の開府から江戸幕府の終焉まで、七百年におよび続いた武家政権。天皇政権から武家政権への移り変わりは、江戸時代から現代まで通説として定着しているが、その根底になるのが新井白石の「九変五変」観だ。日本中世史の歴史学者、関幸彦氏の著書『武家か天皇か 中世の選択』(朝日選書)から一部を抜粋、再編集して解説する。
1 2

特集special feature

    この人と一緒に考える

    カテゴリから探す