一昨年の夏、宮内庁は今上天皇による国民向けのビデオメッセージを公開した。その反響は大きく、「生前退位」なる言葉がマスメディアやネットをにぎわせ、皇室典範の改定云々にまで話は及んでいった。一部の論者は自身の主観的な思想をにじませながら、「古来の伝統なのだから変えてはならない」と主張した。中国思想史を専門とする小島毅はそんな言説に違和感を覚え、この『天皇と儒教思想』を書いた。

<天皇をめぐる諸制度の多くは、じつは明治維新の前後に新たに創られたものである>

 巻頭でそう断言した小島は、その実例として農耕と養蚕、陵墓造営、宮中祭祀、皇統譜、一世一元について言及。すでに新たな制度と知られている太陽暦採用の実情にもふれ、<明治維新がいかに旧来の天皇制の伝統をねじまげたか>具体的に明らかにしてみせる。

 そもそも、8世紀初頭に時の政権が「日本」という国号を考案して律令を制定し、それから歴史書(『古事記』『日本書紀』)の編纂を急ぎ、「天皇」という称号を発明したのも、外国(中国・韓国)に正式な国として認めてもらうためだった。手本は当時の中国、唐。当然ながら、唐が重んじた儒教思想もこの時期に摂取されている。

 儒教はその後も日本の政治文化に幅広く作用したが、この本を読むと、幕末維新期にも、伝統改変のために重要な思想資源として活用されたことがわかる。

 いったい日本の伝統とは何なのか。明治150年、平成最後の夏。国の「象徴」としてどうあるべきか苦悩しつづけた今上天皇に思いをはせつつ、探究したいテーマである。

週刊朝日  2018年8月3日号