日本のメディアは〈第二次安倍政権誕生以降、腰砕け状態に陥ってしまっている〉。〈官邸の記者たちは、権力側からの管理によってあまりにも縛られ、またそのことに慣れすぎている〉。著者のマーティン・ファクラーはアメリカを代表する新聞「ニューヨーク・タイムズ」の前東京支局長。『安倍政権にひれ伏す日本のメディア』は、このごろの報道っておかしくないか?というあなたや私の実感を実証的に裏打ちしてくれる快著である。
 いわゆる「ぶら下がり会見」をやめ、メディアを選別して単独インタビューに応じる安倍首相。気に入らない報道があれば、担当者に直接電話することも辞さない官邸。加えて著者は、日本の報道のあり方そのものに疑問と批判を差し向ける。
 福島第一原発の事故をめぐる「吉田調書」と慰安婦問題にからむ「吉田証言」問題で朝日新聞が窮地に追い込まれた際(2014年)、他の新聞やテレビは朝日を守るどころか孤立させた。会社もまた個々の記者を守らなかった。「プロメテウスの罠」など、3.11後に立ち上がった特別報道部による調査報道は花をつける前に芽をつみとられた。
〈なぜ会社の垣根を超え、権力と対峙して朝日新聞を擁護しようとしないのか。このジャーナリズム精神の欠落こそが、日本の民主主義に大きな危機を招いている〉〈日本はいつまでも自分の殻に閉じこもったままの「タコツボ型ジャーナリズム」をやっている場合ではない〉
 そう。何がヤバイって、メディア同士の分断ほど権力に好都合な事態はないのである。安倍政権批判、メディア批判の本に見えるけど(実際、そういう本だけど)、あるべき民主主義とジャーナリズムの役割を再認識させる教科書みたいな本。〈国内外のジャーナリストから見れば、日本の報道の環境は安全安心な温室空間に見える〉〈誰でも書ける記事には付加価値がない〉とまでいわれちゃってるんですからね。記者のみなさまも、奮起してほしいです。

週刊朝日 2016年4月29日号