早見和真『95(キュウゴー)』は2015年12月29日の渋谷からはじまる。「僕」こと広重秋久は37歳。すでに7歳の娘もいて、本人はすっかり「オッサン」の気分である。
 その「僕」に母校・星城学院高校の現役女子高生からメールが届く。高校の卒業制作で社会的な関心事の多かった1995年をテーマにしたい。〈つきましてはその頃に星学で学ばれていたOBの皆様にお話をうかがいたく〉。かくして「僕」の意識は17歳だった20年前へと一気に引き戻されるのだが……。
 アイディアはいいんだよねアイディアは。95年はいうまでもなく阪神・淡路大震災で明け、オウム真理教事件に揺れた年。「僕」も3月20日の地下鉄サリン事件で、人生が変わった口だった。死を身近に感じて〈何かが変わってしまったという確信があった〉という「僕」に、同級生から電話が来たのだ。〈お前、そろそろ土俵に上がれよな。チャンスなんか何度もないぞ。ビビってるうちにいろいろなものが過ぎていく〉。平常心を失っていた「僕」は彼のグループに加わり、ここからめくるめく青春のドラマがはじまる。
 ね、おもしろそうでしょう。なんだけど、どうもアイディア倒れの感ありで、95年と2015年の対比も曖昧、17歳と37歳の意識の差も曖昧。しかも「青春」の中身の陳腐さは、なんとかならなかったのか。
 もっとも20年前らしさは随所にあって、連絡を取り合うのはLINEでもメールでもなくポケベル。仲間内の女子には援助交際に走る子あり。高校生の間では雑誌がまだ読まれており、テレビではいしだ壱成主演の『未成年』が流れていた。
 20年後の大晦日に集まろうという会話もそう。〈「でも、地球って1999年に終わるんだよな?」/「終わらせるかよ。俺が終わらせないでやる」〉。当時はまだノストラダムスの予言前の時代だったのだ。37歳になった彼らは、無事集まれただろうか。大工事中のいまの渋谷は、ひどく煩雑になっているしね。

週刊朝日 2016年1月15日号