往年の読者には「あたし、濡れちゃったんです」式の官能小説で知られる宇能鴻一郎センセが<三十年の沈黙を破り奇跡の復活!>(帯より)をとげた。副題は「双面神ヤヌスの谷崎・三島変化」。
 作家の分身とおぼしき亜礼知之を主人公にした連作風の10編は旧満州からの引き揚げにはじまる自伝的要素を中心にしつつも、少年時代の性的な妄想あり、花魁小桜の隠れキリシタン秘話ありで、さながら高級素材も腐った鯛もおかまいなしに詰め合わせた幕の内弁当のごとし。
東大でよかったのは入学時の達成感だけだ。あとは大失敗だった。まず嫉妬を買う>。<文学賞受賞後は同学の嫉妬にさらされた>。<当時、主流だった柴田翔、高橋和巳的な感傷>は軽蔑の対象でしかなく、<しかも純文学の世界は一発芸で稼ぐ以外は小さなパイの取り合い>なので<一刻も早く純文学から逃げ出すこと>にしたが、<時代小説はセリフが不自然だし、推理は推理小説が不自然だ。ポルノは大好きだし量産がきく。さっさと転向した。とまた苦節十年組から嫉妬攻撃された>。
 このくらいの告白は、でもまだ淡泊なほう。六話、七話では狸にされた谷崎潤一郎と牛に変えられた三島由紀夫とが地獄から召還されて文芸漫談を繰り広げる。<ナルシシズムというのは作家にも俳優にも貴重な資質だよ。あとはそのナルシシズムに大衆を巻き込むことだ。太宰君もそれに成功している>(谷崎大狸)。<熱烈なファンは恐ろしい。亜礼君のように読み捨てられるものを書きまくるに限ります>(三島牛)。
 あの谷崎と三島が亜礼を代弁し、亜礼に非礼を働いた連中を罵倒し、亜礼の人生を語る至福の展開。愛人を語り手にした恋愛小説風の九話と十話もじつは亜礼への愛の告白だし。
<ポルノはいちばん純粋で詩に近い小説です。私はポルノ界のモーツアルトと言われたい>とは三島牛が伝える亜礼の言葉。屈折した自己愛に満ち満ちた私小説。この込み入った自意識がたまらない!

週刊朝日 2014年5月23日号