プロフィールを読み、永沢光雄さんが亡くなって、7度目の夏が来ているのを知った。はやいものです。高校野球を、プロ野球をこよなく愛した作家でした。球場に足を運んで観る人だった。生前に遺した野球エッセイ13編に小説一作品が加えられ一冊に。
 仙台から大阪の大学に進む。アパートのすぐ前に藤井寺球場があった。近鉄バファローズの本拠地。野球ベタの野球少年だった。大学より球場通いの日々になる。将来の不安を飛び跳ねる白球で打ち消していた。監督の西本幸雄の顔にひかれる。負け続けているなかでのあの笑顔。日本シリーズで一度も優勝してない近鉄。そこに人生を重ねるようになっていた。
 自伝的要素があちらこちらに。ユーモラスで哀しくて。そして下咽頭がん。手術で声を失い妻とは筆談だ。球場に行けなくなった。文章に苛立ちが隠せなくなる。だが、野球少年に注ぐ眼差しは、相変わらずやさしい。星稜高校のマネージャー君を回想するシーンは胸に響く。そうそう、永沢さんは新宿2丁目に長く暮らし、愛されていた。いまも、きっと。

週刊朝日 2013年8月2日号