――テレビからYouTubeへ活動場所を変えて、いまでは「人気YouTuber」と呼ばれるようになりました。

毎日大変です。テレビと違って、ある程度自由にやれる楽しさはありますが、その分、責任も自分で背負わなければならない。いまは「テレビのころの宮迫より好き」という視聴者のコメントに助けられています。

――テレビとどちらが楽しいですか?

難しい質問ですね(笑)。テレビは裏方さんがある程度企画などを考えて、台本があって、僕らはタレントとして、その役割に徹するんですが、YouTubeは毎日配信で自分で企画を考えないといけない。でもその一方で昔やっていた「轟さん」というキャラクターなんかを自由にやれたりもする。似て非なるものなんですけど、楽しさや苦しさという面では同じかもしれません。

――お笑い芸人を目指した理由を教えてください。

実は芸人になるつもりは全くなかったんです。松田優作さんに憧れていたので、もともとは俳優になりたかったんです。もちろん新喜劇とかひょうきん族とかバラエティー番組は大好きでしたけど、当時の芸人の立ち位置って、親が子供に注意するときに「そんなことしてたらチンピラかお笑い芸人にしかなられへんぞ」みたいな感じで、当時はすごく下に見られていた。だから芸人になりたいとは一回も思ったことはないんです。

――学校では人気者だったんですか?

自分で言うのもなんですが、「おもろい奴」と認められてはいました。でも、やっぱり憧れは芸人ではなくて松田優作なんですよ。それで高校までいって進路を考えるときに、当時、小劇団ブームが起こる少し前くらいのタイミングで、こっそり劇団新幹線とかを見学しに行ってたんですよ。そのときに劇団を仕切っている、めちゃくちゃ不細工な男がいて、「こんな奴が絶対に売れるわけない」と思ったんですが、その人が古田新太さんやったんです(笑)。結果的にその考え方は間違っていたんですが、その時はめっちゃ男前とか特別な才能を持ってないとダメだろうと思っていました。そう悩んでいたときに、明石家さんまさんやたけしさんがドラマに出始めて、「そういう道もあんねや」と。それで吉本さんの養成所に入ったんです。

――そこで、相方の蛍原さんと出会うわけですね。

いや、実はそうではなくて、初めは1人でやっていて、その後コンビを組むんですが、相手は蛍原さんではないんです。漫才コンクールに出るために高校時代にクラスで人気者だった奴とコンビを組んで3位になって、地方テレビのレギュラーの話が来たんです。大喜びで相方に電話したら、「わいテレビは困るわ。親に内緒やから」って言うんです。もうね、「お前はなに目的でこの世界に入ったんや」と、「思い出づくりか!」と聞いたら本当に思い出づくりやったんですよ(笑)。結局、そいつは「いい思い出できたわ。やめるわ」って言って、ほんまにやめてしまいました。

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