上智大のブランド力を上げた 1964年東京五輪・大学生通訳たちの活躍 (2/5) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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上智大のブランド力を上げた 1964年東京五輪・大学生通訳たちの活躍

「来週迄にヨットの部分名を覚えてくる事とか、船と風との関係について予習してくる事とかいって私達が質問を見つけてきて先生に答えていただくという形で勉強し、お天気の良い日には実際にヨットに乗せていただき、少しは操縦も覚えた」(東京女子大『学報』1964年11月25日)

 学生通訳の経験者に話を聞いてみた。国際基督教大教養学部2年の長井鞠子は宮城県の宮城学院高校出身。高校時代、AFS(American Field Service)でアメリカ留学の経験があり、英語が得意だったので、LLなどを使った語学研修のレベルはやさしく思え、とても楽な内容だった。長井は水泳を担当した。事前に研修として水泳日本選手権大会に出かけ、競技に関する基礎知識を学んでいる。東京大会で、長井は選手を紹介する放送を担当した。こうふり返る。

「第1のコース○○選手、のあと、わたしが、The first lane ~と英訳します。難しくはなかったですが、当日になって選手のリストが渡されたので、名前を読む時にどう発音したらいいか悩みました。競技スタッフもわからない。その国の人から聞くなどして何とか調べられましたが、これには苦労しました。また、大会のVIP席の近くで立って待機し、何かあったらとんでいったものです。この間、大学は欠席しましたが、教員が、学生通訳は意義がある仕事として出席扱いにしてくれたのでしょうか。まだ、おおらかな時代でした」

 早稲田大教育学部4年の牛島由美子はレスリングの場内アナウンスを担当した。日本選手が好成績をおさめ、16種目で金メダル5個、銅メダル1個を獲得している。牛島はマイクを握っていても、なかなか冷静ではいられなかったようだ。

「審判長の横で、マイクを前にして、大声で応援もできず、通訳としても、日本選手にだけ加勢するのもはばかられた。できるだけ冷静にと思いながらも、試合結果のアナウンスでは日本選手が勝てば声がはずみ、負ければ声の沈むのを抑える事はできなかった」(『早稲田学報』1964年12月号)



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