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写真家・水口博也 「遺書」として出版した写真集で訴えたかったこと

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南極半島の空と海、雪山のすべてが薔薇色に染まる夕暮れ。風景に変化を与えたのは、海面に跳ね泳いだジェンツーペンギン(撮影:水口博也)

南極半島の空と海、雪山のすべてが薔薇色に染まる夕暮れ。風景に変化を与えたのは、海面に跳ね泳いだジェンツーペンギン(撮影:水口博也)

クジラの作品で世界的に有名な写真家・水口博也さんが写真集『黄昏 In the Twilight』(創元社)を出版した。南極からアフリカのサバンナまで、世界中を巡り、黄昏どきの光のなかで写した作品を収めている。水口さんに話を聞いた。

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 水口さんは本書をつくった動機について、あとがきでこう書いている。

<ふと、「黄昏」について撮りたく、そして書きたくなった。こうしてできた本である。(中略)自身が生を終えたときにどんな残照が風景を飾ってくれるかについても、いまという瞬間をどう輝かせるかと深く関わっている>

「つまり、自分の遺書です。この歳になると、まわりで亡くなっていく人間が多くて、自分もいつ死ぬか、わからん。だから、撮りたいことは撮っておこう、書きたいことは書いておこうと思って」

 67歳の水口さんは、そう言って笑う。これからも「遺書2、遺書3を出すつもりです」。

 写真家としての「遺書」で水口さんは何を訴えたかったのか。その一つが「風景の中の動物をとらえる」ことだという。

「こういう取材がいいのだろうか、この仕事のスタイルを変えないと。そう、ずっと思っていました。『これが仕事だから』という理由で続けるならば、ぼくらが批判してきた人間と同じになってしまう」

 そんな反省の弁を口にし、これまで野生動物を追い写してきたこと、そして最近の動物写真を取り巻く状況の変化について語った。

「例えば、クジラの水中写真なんていうのは、むちゃくちゃ強引に寄って、という撮り方をせざるを得ない。そのインパクトは相当大きい。それを意識せざるを得ない。だから、そういう撮り方はやめようと。実際、ぼくはもう10年くらい水中写真を撮っていないんです」
太陽が水平線に沈みゆく瞬間。海面に突き出されたミナミセミクジラの尾びれの濡れた皮膚が、鋼のように夕焼けの空を映しだす(撮影:水口博也)

太陽が水平線に沈みゆく瞬間。海面に突き出されたミナミセミクジラの尾びれの濡れた皮膚が、鋼のように夕焼けの空を映しだす(撮影:水口博也)

いま、クジラの写真は世の中にあふれかえっている

 海の豊かさを象徴するクジラの姿。水口さんはその息づかいが伝わるような作品を世に送り出してきた。そこにはクジラの素晴らしさを知ってもらうことで、保護につなげたい、という目的があった。

「まだクジラの情報が少ないときは、その写真を啓蒙や教育に使った。それが唯一の免罪符だった。でも、そんな写真は、もう世の中にめちゃくちゃあふれているんですよ。啓蒙的な意味で写真を撮ることと、それが生み出すマイナス面とを天秤にかけて考えると、ちょっと言い訳できない。もう、必要ないでしょう、と」

 昔は必要な写真は自分で撮影していたが、最近はそのような目的であれば、他の写真家と融通し合い、使うことができるという。だから、「一から撮らなくても、啓蒙、教育活動に使う写真を入手できる環境がすでに出来上がっているんです」。

 しかし、アート、創作活動として水中でクジラの姿を撮り続ける写真家もいる。

「それは否定しません。こう表現したい、という気持ちがあれば当然でしょう。でも、それは相手に対してシビアなことを要求することになる。相手とは自然です。動物です。その、やっていることに意味はあるのか、作品性に必要なのか、相当に自問せざるを得ない」

 写真集にはクジラやイルカ、シャチのすてきな作品がたくさん収められているが、水中で写したものは1枚もない。

「遠くからとか、きれいな風景の中で、『ああ、いいなあ』と感じられる作品を写していけるのであれば、その方法がいいと思って。それでつくった1冊なんですね」

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