――そして、スケートと両立しながら、食品の研究をするため京都大学に進むんですね。

 ゲームが好きだったので、ゲームメーカーに就職したいとも思っていたんですが、大学受験のときに、得意な試験科目から農学部の食品系に志望を切り替えました。ここならいけるかなという感触と、選手時代からサプリメントや食事に興味があったことも理由です。

 しかし、学部時代は実験が毎日入り、練習を続けるのも大変でした。同世代の選手達と同じように学部の4年間できっぱり引退すると決めていました。

現役時代の神崎さん。2006年の全日本フィギュアスケート選手権大会での演技(撮影/森田正美)
現役時代の神崎さん。2006年の全日本フィギュアスケート選手権大会での演技(撮影/森田正美)

 ただ、大学4年のときにネーベルホルン杯という国際大会で2位という好成績が残せたのに、これで最後と決めていたその年の全日本選手権で4回ぐらい転倒してボロボロで……。そのまま引退できず、目標としていたユニバーシアード出場に向けてもう一度挑戦したいと決心し、大学院1年のシーズン(2006-07)を最後と思い選手を続けました。すると、選考を通過して出場が決定し、そのシーズンに全日本4位という想像以上の結果もついてきて、四大陸選手権にも出場し入賞できました。自分の目標が達成できたことと、スケート選手として限界を感じていたこともあり、潔く引退できました。

 でもやっぱりその後は、ぽっかり心に穴が空いたというか、物足りなく感じて……。気晴らしで行ったスケートリンクで審判員の方に声をかけてもらったことがきっかけで、審判員の資格を取りました。今も、有給休暇を取ってボランティアで審判員をやっています。国際大会になると、夏休みを使って1週間ぐらい行くこともありますね。交通・宿泊は手配していただけますが、基本的には無給なので、「どうしてやってるの?」とよく聞かれます。

 これも当初は全然やるつもりがなかったのですが(笑)、やってみると「芸術点はどうやって付けているんだろう」という選手時代の疑問が、明確にルールに則って評価されていることがわかったり、理系の自分の性格に合っているなと思っています。フィギュアスケートというスポーツの振興のために役に立っている実感もあり、全日本選手権など選手として自分が目指した場所にいられるというのも嬉しいですね。そして、審判員は審判員の仲間がいて居心地がいい。私には、そういう場所が必要なのかもしれません。

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女子選手でも4回転の時代 観戦のポイントは?