京大院卒の元フィギュア選手・審判員「芸術点はどうやって付ける?」を知りたくて (2/4) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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京大院卒の元フィギュア選手・審判員「芸術点はどうやって付ける?」を知りたくて

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金城珠代dot.
 中学3年のころは高校受験のために滑るのを控えましたが、そこまでして両方を続けていた理由は、実は今でもよくわからないんです。滑るのが楽しい、新しい技ができると嬉しいという気持ちはもちろんありましたが、高校ぐらいまではとにかく辞めたくないという気持ちが強かったと思います。ずっと続けていたものを辞めてしまうと、ぽっかり穴が空いてしまうのかなと。特に男子の選手はみんな仲間のようで、その関係性も失くしたくなかった。

 自分が勉強している間に、ほかの選手が成長していく姿を見ることもありましたが、焦るというよりは「しょうがない!」と割り切って、ポジティブに切り替えるようにしていましたね。
「オールジャパン メダリスト・オン・アイス2006」で『冬のソナタ』の“ヨン様”に扮し、会場を沸かせた(撮影/浅倉恵子)

「オールジャパン メダリスト・オン・アイス2006」で『冬のソナタ』の“ヨン様”に扮し、会場を沸かせた(撮影/浅倉恵子)


――トップアスリートの中では、目標を一つに絞って集中する人が多いと思います。

 中学生のころは成績も全国中学校スケート大会5位ぐらいで、あまり自分の中では「トップアスリート」といえるレベルの選手ではなかったと思っています。当時は特に男子の競技人口が少なかったので、今振り返ると「そんなレベルで?」って思うぐらいですよ。いい具合に、スケートに絞るレベルまでいかなかったというか……(笑)。

 今でこそフィギュアスケートは地上波でも中継されるような人気スポーツになりましたが、当時はスケートを職業にするとは考えられなかったというのも正直なところです。親からも「スケートで食っていくのは大変だよ」と散々言われていました。

――1位になれなかったとしても、くさらず止めないというのも一つの能力ですね。才能がないかもと諦めてしまいそうですが。

 才能は……なくはないかなと思っていました。もちろん自分よりレベルが高い選手はたくさんいましたが、実は下にもたくさんいて、自分はこのあたりかなと何となくポジションは理解しつつ、もうちょっと練習したらここまでいけるかなと考えていました。実現できる道というか、自分がいけるところはどこかなと。

 それに、悩んでも意味が無いときは、前向きに考えなきゃいけないなと切り替えるようにはしていましたね。それは今もそうです。



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