■ある人が子どもにやっていた、プラス思考教育法

 そんなときでした。ある若いお母さんがこう言いました。

「私、子どもに楽しかったこと、いいことだけを1日の終わりにノートに書かせているの。たとえ嫌なことがあってもそのノートには絶対に書かせない。だって物事悲観的に捉えようと思えばいくらだって悲観的に捉えられるでしょう? でもそれじゃこれからの世の中で生き残っていくことはできないと思う。だから何事もプラスの方に目がいくよう、今から教育しているのよ」

 未だ“ホンモノのプラス思考”になりきれていなかった私は、さっそくその方法も取り入れてみることに。いつも手の届くところにノートとペンを置いておき、「うれしかったな」「楽しかったな」と思ったことを書き綴るようにしたのです。

当時書いた“いいことだらけノート”は捨ててしまったので、今回10年ぶりにさっと書ける携帯電話のメモ機能を使って書いてみました。なんだか食べ物関係の幸せばかりになってしまいましたが……
当時書いた“いいことだらけノート”は捨ててしまったので、今回10年ぶりにさっと書ける携帯電話のメモ機能を使って書いてみました。なんだか食べ物関係の幸せばかりになってしまいましたが……

 最初は書けませんでした。でも「今日こそ書くぞ!」と思うことで、「うれしかったこと」「楽しかったこと」を必死に探すようになりました。自分でやってみてわかったのですが、この“工程”が大事。「楽しいこと、うれしいことはないか」と毎日探しているうちに、“幸せなこと”を探すのがうまくなってくるし、幸せだな、楽しいなと思う沸点がどんどん低くなってくるのです。

 そしてこれまでの私は、幸せだと思う沸点が高すぎたということに気づいたのです。だから相当にうれしいことじゃないと幸せと思うことができませんでした。ところがこのノートをつけ始めると「そういえば今日、仕事行くとききれいな紫陽花見かけたなぁ」とか「コンビニの中華丼、想像以上においしかった。幸せなお昼ごはんだったな」など身近な幸せを見つけられるようになってきました。

 さらにこのノートのいいところは「もうダメだ。私ってやっぱり不幸なんだ!」と思ったときに読み返すと「なんだ。幸せなんてそこら中に転がっているじゃない」とエネルギーになってくれるところ。

 このノートは1~2年続けたところで、「もう大丈夫! マイナスに引っ張られることはない」と自分に自信がついたのでやめました。

 そして思いきって、そのノートたちは処分。処分できたのは、この先もっと楽しいことが待っていると自分に確信を持てるようになったからです。

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親の老後問題に、夫の介護。欝寸前まで行った母