歴史家たちの「石田三成像」全24説徹底検証
短期連載「義に生き、殉じた――石田三成の真実」(2)

「全24説一覧」から「好臣説」「愚将説」「忠臣説」
【画像】関ヶ原前夜の攻防戦、光成の「美濃迎撃ライン構想」
※第一回からつづく
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■三成復権の足掛かりとなった名作『関ケ原』
徳川家康は、豊臣家から天下を奪い取り、江戸幕府を開いた。このような弱肉強食の論理を隠し、徳川の天下の正統性を強調するため、石田三成は、生贄とされ、奸臣や悪人として位置づけられた。
明治維新後、家康中心の歴史観が見直されても、三成を奸臣とする流れは改められなかった。司馬遼太郎の名作『関ヶ原』において、豊臣の天下を守ろうとした忠臣として描かれたことは、三成復権への足掛かりとなった。
戦国史研究の世界で多大な業績を残した渡辺世祐や桑田忠親は、奸臣か忠臣かという倫理観には固執せず、新しい時代を切り開いた実務官僚として三成を高く評価した。

「全24説一覧」から「名将説」「実務官僚説」「中間説」
※週刊朝日ムック『歴史道 Vol.4』より。文中敬称略。第三回へつづく

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