しかし、場所が違えば土も掘り方も発掘道具も出土する遺物も、何もかもが違い、すべてが初めて見るものばかりで、とても新鮮で感動したのを覚えている。ただ蚊や虻(あぶ)の多さには閉口したが。

こんな調査なので、20代でもそれなりにつらかったが、全く異質な世界は楽しかった。その後も数回、夏には日本海に面した沿海地方のウラジオストクや、北海道の北に浮かぶサハリン島でも、発掘調査に参加した。冬には気温マイナス20~30度、凍れるハバロフスクやサハリンに出かけ、発掘記録を整理したり、出土遺物を分析したりして、レポートをまとめる作業に関わった。
ロシアのほぼ真ん中にあるノボシビルスクで研究仲間と行った資料調査も面白かった。アムール川中流域の石器や土器の分析のため、ロシア科学アカデミーシベリア支部のある同地に出かけた。こちらはアカデムゴロドクという学術都市にあり、それほど苦労なく行くことができる。日本ではほとんど知られていない出土資料を詳しく調査し、新しい結論を引き出せたときの喜びは、何ものにも代えがたく思えた。

筆者は日本の旧石器時代から縄文時代を研究している。こんな経験をしようと思ったのは、日本の歴史を、周辺地域の歴史を知った上で見直したいと思ったからだ。かの司馬遼太郎は、大陸文化の無節操にも思える摂取を通じて日本列島の文化がかたちづくられたといったし、第二次大戦後の日本の歴史学界も、日本列島の歴史は大陸からの人や文化の大規模な移入で形作られたと考えた。それがどれほど真実に近いのか、自分の目で確かめたいとも思っていた。
日本列島の文化は本当に大陸起源のものばかりなのか。検討すべき対象のひとつに、「石刃鏃」という名の美しい石のやじりを特徴とする北方狩猟民の先史文化がある。約8200年前ごろの縄文時代早期、北海道の北東部オホーツク海に面した地域を中心に、わずかな期間、唐突に現れた謎の文化だ。その唐突さゆえに、ロシア極東のアムール川流域から伝播したとされてきた。