昭和40年の路線図。丸の内界隈(資料提供/東京都交通局)
昭和40年の路線図。丸の内界隈(資料提供/東京都交通局)

 赤煉瓦の丸の内オフィスビル街を東西に貫く鍛冶橋通りに路面電車が走ったのは意外と遅く、大正期に入った1920年2月だった。東京市が敷設した八丁堀線で、神田橋線の馬場先門から分岐して、千代田橋線の永代橋を結んでいた。

 1929年には、以前に「東京駅編」でも記述した東京駅前ループ線(1944年廃止)が敷設され、八丁堀線には5系統目黒駅前~東京駅乗車口と7系統青山六丁目~永代橋の二系統が運転されていた。

 戦後は目黒車庫が担当する5系統の単独路線となった。ちなみに、5系統は目黒駅前を発して古川橋~芝園橋~田村町一丁目~馬場先門~京橋~永代橋に至る10184mの路線。この5系統の路線廃止は1967年12月だったから、沿道の東9号館は竣工以来ずっと路面電車の動静を見続けてきたことになる。

■今世紀に入り、「旧三菱1号館」のレプリカが再建

 写っているのは、三菱東9号館前を走る5系統永代橋行きの2000型だ。杉並線廃止後、軌間を1067mmから1372mmに改軌されて、三田、広尾、目黒の各車庫に転属した。近代化された細面の風貌が都大路によくマッチした。時代が時代だけにモノクローム撮影なのは恐縮だが、それでも当時の丸の内の美観が感じられるのではないだろうか。

 赤煉瓦造りの三菱東9号館の瀟洒な偉容を描写するため、沿道の銀杏が落葉する冬季を狙って撮影した。撮影時は西側に隣接した建物は解体され、新たなビルが建設中だった。最後まで残った三菱東9号館は都電が廃止された翌1968年3月、人々に惜しまれつつ解体された。跡地には地下4階・地上15階建ての「三菱商事ビルヂング」が起工され、1971年に竣工している。

馬場先門北角の「明治生命館」。10本のコリント式列柱が並ぶ荘厳な威容 (撮影/諸河久:1963年6月16日)
馬場先門北角の「明治生命館」。10本のコリント式列柱が並ぶ荘厳な威容 (撮影/諸河久:1963年6月16日)

 ちなみに、左奥に写っているのが「明治生命館」で、赤煉瓦造りの旧社屋を取り壊し、鉄筋コンクリート製の新社屋を1934年に建設した。建築家・岡田信一郎の設計で、古典主義様式の最高傑作と称される名建築だ。1997年に昭和の建造物として初めての「重要文化財」の指定を受けている。

 三菱地所は丸の内地区で前出の三菱商事ビルヂングや丸の内八重洲ビルヂングなどを再開発し、新たに超高層ビルを建設。同時に旧1号館を「三菱一号館」として復刻再建する建替え計画を2004年に発表した。2007年に再建がスタートし、2009年4月に竣工した。旧館よりもやや東側の敷地に再建された三菱一号館は、同社の企業美術館として運営されることになり、翌2010年4月「三菱一号館美術館」として開館の運びとなった。

 復刻された三菱一号館の前に立つと、かつて目前の電車道を走り去った都電群の面影が走馬灯のように浮かび上がってくる。

■撮影:1965年12月12日

◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)などがあり、2018年12月に「モノクロームの私鉄原風景」(交通新聞社)を上梓した。

著者プロフィールを見る
諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

諸河久の記事一覧はこちら