昭和38年2月の路線図。築地界隈(資料提供/東京都交通局)
昭和38年2月の路線図。築地界隈(資料提供/東京都交通局)

 築地四丁目に位置する「築地場外市場」は、国際観光地として繁盛している。だが震災前は、本願寺の末寺と墓地など人気(じんき)のなかった土地で、それらを計画移転させて場外市場の区画が作られた。場外市場の南東端に築地っ子の氏神様である「波除稲荷神社」がある。同社は江戸期に勧請され、現在も地元や市場関係者の崇拝を集めている。

 余談であるが、この波除稲荷神社付近から月島を結んだ「鬨(かちどき)の渡」があった。1920年代の隅田川河口付近には「渡(わたし)」が三箇所存在した。この「鬨の渡」が一番河口寄りに位置した。その次が、現在の聖路加国際病院の裏手の旧明石橋から月島を結んだ「月島の渡」。一番上流が旧湊町から佃島を結んだ「佃の渡」だった。鬨の渡と月島の渡は勝鬨橋が開通した1940年頃に廃止され、最も遅くまで残った佃の渡は、佃大橋が竣工した1964年8月に廃止されている。都電とともに歩んだ河岸の足でもあった。

 1960年代に入っても、佃の渡のように戦災を免れた築地界隈は、随所にしっとりとした戦前の下町風情が残っていた。写真左奥の小路を右に入ったところには「築地小劇場」の跡がある。演劇界に新風を吹き込み大正・昭和初期に活躍した小山内薫らの夢の跡を偲ぶことができる。

 そんな下町情緒に威勢のよいセリ声を轟かせた築地市場の活気ある風景が消えるのは、近隣の新富町で育った筆者にとって、一抹の寂しさを覚える。

■撮影:1963年9月1日

◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など多数。

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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