まもなく移転の「築地市場」 70年前に市場内を走っていた“知られざる都電”とは?
連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」

築地停留所付近から撮影。左側に「築地本願寺」の尖塔が見える(撮影/諸河久:1963年8月18日)
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2018年10月、築地中央市場は1935年から80余年続いた営業を終了し、豊洲市場に移転する。
日本一の繁華街「銀座」に近接した「築地」は、その利便性からしても、これに匹敵する立地条件の卸売市場は他に例を見ない。築地市場は都内に11箇所ある東京都中央卸売市場の一つだが、その規模は世界最大の卸売市場といっても過言ではない。
10月の豊洲移転後も、築地卸売市場の外郭をなす築地場外市場商店街(築地場外市場)は現在地に残留する。場外市場は世界各国から旅行者が集まる都内屈指の観光スポットとなり、再来年に迫った東京オリンピックでも日本食を求めに観光客でごった返すと思われる。
いっぽう、1964年の東京オリンピックの頃はといえば、築地界隈は「人」と「車」で溢れかえっていた。
写真は築地停留所を発車して新佃島に向う11系統の5000型を築地停留所から撮影。背後の築地四丁目交差点は、晴海通りと新大橋通りが交差する交通の要衝だ。撮影日も築地市場を発着するトラック群で両方向が渋滞していた。
左側に京都・西本願寺の直轄寺院である「築地本願寺」の尖塔が見えている。「築地本願寺」の本堂は、古代インド様式や桃山建築様式を取り入れた荘厳なデザインの建物だ。1934年に伊東忠太・東京帝大教授の設計で建造され、現在も築地を代表するランドマークのひとつになっている。
右奥に見えるトラスは、1940年に竣工した隅田川唯一の可動橋である勝鬨橋だ。橋上には当初から路面電車用の軌道が敷設されていたが、実際の運行は1947年から始められた。

現在の同じ場所。現在も変わらず交通量が多い交差点だ(撮影/井上和典・AERAdot.編集部)
勝鬨橋線が敷設されるまでは、11系統も築地で折り返していた。1947年12月に勝鬨橋線が全通し、11系統は隅田川を渡河して月島通八丁目まで延伸された。

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