初のバースデーライブを開催する城之内早苗(撮影/戸嶋日菜乃)
初のバースデーライブを開催する城之内早苗(撮影/戸嶋日菜乃)

政治家、女優、経営者……「おニャン子クラブ」の元メンバーたちは卒業後も各方面で活躍している。会員番号17番の城之内早苗(54)はメンバーで唯一、演歌界に進出し多くのヒット曲を生みだした。5月17日のバースデーライブを前に、おニャン子時代の秘話や元メンバーとの交流などを赤裸々に語った。

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 1985年4月に誕生したアイドルグループ「おニャン子クラブ」は、わずか2年あまりの活動でありながら、その人気はすさまじく、社会現象となるほどのアイドルブームをつくりあげた。元メンバーには工藤静香、生稲晃子、国生さゆり、渡辺満里奈、渡辺美奈代、新田恵利、河合その子、高井麻巳子ら名だたるタレントがおり、今でも、その多くが各方面でその才能を発揮している。

 城之内早苗がオーディションを受けるきっかけとなったのは、おニャン子が誕生したバラエティー番組「夕やけニャンニャン」(夕ニャン)が始まる前だった。

「私は中学2年の時からCBSソニーレコード(現ソニー・ミュージックレコーズ)の演歌のレッスンを受けていたんです。茨城県の実家から東京まで、レッスンのために電車で通う日々でした。ある日、ソニーの担当の方から『オーディションというものを経験してみなさい。どうせ受からないだろうから大丈夫』と勧められ、それがおニャン子クラブのオーディションだったんです」

 ソニーのレッスン生から5人ほどがオーディションに送り出されたという。

「私たち自身も絶対に受からないと思っていました。だから審査が終わった後、『最後の記念に』とみんなで東京タワーの展望台に上って、景色を楽しんでいたくらいです。その後、私は茨城県の実家に帰ったのですが、オーディションに合格したという知らせがあって、『えっ、何で』って。うれしさと同時に、私も周囲も慌てふためいていました」

 そこからは、運命が大きく変わっていく。茨城県から東京の高校へと転校し、ソニーの社員寮に引っ越した。

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上田耕司

上田耕司

福井県出身。大学を卒業後、ファッション業界で記者デビュー。20代後半から大手出版社の雑誌に転身。学年誌から週刊誌、飲食・旅行に至るまで幅広い分野の編集部を経験。その後、いくつかの出版社勤務を経て、現職。

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国生さゆりは「ほとんど寮で見かけなかった」