テレビを見ながら雑談する袴田巌さん(左)と姉・秀子さん
テレビを見ながら雑談する袴田巌さん(左)と姉・秀子さん

 小川秀世弁護士は、現在、袴田事件弁護団の事務局長を務めている。もしこのとき、渕野氏から小川氏の講義を勧められなければ、袴田事件に関わることはなかっただろう、と戸舘氏は回想する。

「小川先生は静岡大学のOBで、私の大先輩にあたります。当時、大学では実務家の講義がいくつか開講されており、先生は『裁判事例研究』という講義を持っていました。小川先生が担当された刑事事件を通じて、日本の裁判の問題点を学ぶ講座だったんですが、小川先生の話がとにかく面白かった」

 講義のなかで、小川氏は袴田事件について2~3回取り上げたという。袴田事件は、66年に静岡県の旧清水市でみそ製造会社の専務一家4人が殺害され、集金袋が奪われた強盗殺人・放火事件。みそ会社の従業員だった袴田巌さんが逮捕され、一度は死刑判決が確定した。

「袴田さんは最初から無実を訴えており、小川先生は弁護士登録をした新人のころからずっと弁護団に入って活動してきました。裁判に証拠として提出された『5点の衣類』『はけないズボン』『通れない裏木戸』など、今も謎となっている数々の問題を講義で話してくださいました」

 縁もゆかりもなかった静岡県で起きた事件に、戸舘氏はどんどんのめりこんでいった。

「こんなに謎が残っているのに、袴田さんは死刑判決が確定してしまっている。それがまかり通っていることに衝撃を受けました。大学生の自分には冤罪というものが本当にショックで、小川先生に案内され、支援者の方々との勉強会にも足しげく通いました。そこで無実を訴えるための新証拠、たとえば、衣類のみそ漬け実験をしたり、事件の記録をみんなで読み合わせたりして、疑問点を洗い出していきました」

ちょうどそのころは、第1次再審請求の即時抗告審が東京高裁で審理されていた。

「弁護士がこういう形で冤罪を晴らす活動に関わっている姿を見て、自分の心に火がついていくのを感じました。小川先生はちょっと変わった弁護士ではあるのですが、自分にとってはひとつのロールモデルになりました。静岡大出身でこういう活動をしている人がいるのなら、自分も弁護士になりたいと思い、司法試験の勉強を始めました。支援活動は一時お休みして、1日10時間以上の勉強を黙々と続けました」

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同期の司法修習生に袴田事件のビラを配った