打線もア・リーグ本塁打王にしてMVPのAロッドことアレックス・ロドリゲス、勝負強さと好守が光るデレク・ジーター(ともにヤンキース)をはじめとして、前年の首位打者コンビであるマイケル・ヤング(レンジャーズ)にデレク・リー(カブス)、さらに実績抜群のケン・グリフィーJr.(レッズ)にチッパー・ジョーンズ(ブレーブス)ら錚々たるメンバーだった。

 結果的に2次リーグで日本にサヨナラ勝ちしながら韓国とメキシコに連敗して敗退となったが、敗因は本気を出さなくても優勝できるだろうという驕りだったのではないだろうか。そういう意味では、メンバー選考は本気でやったが大会本番では本気を出さなかったと言えるかもしれない。

 2009年の第2回での米国代表は、第1回に比べると見劣りしたのは事実。打線ではライアン・ハワード (フィリーズ)ら期待のスラッガーたちがいなかったり、投手陣はクリフ・リー(インディアンス)とティム・リンスカム(ジャイアンツ)の前年サイ・ヤング賞コンビに出場を断られたりと十分なメンバーを揃えられなかった。

 多くの有力選手が出場辞退したのは、スター軍団だった第1回大会で控えに回された一部の選手がシーズン開幕前の実戦経験不足に直面したことがあるとの声もあった。しかも大会中にはチッパー・ジョーンズとダスティン・ペドロイア(レッドソックス)が負傷で離脱。最終的には準決勝で日本に敗れて姿を消すことになった。

 スター軍団ゆえの難しさがあった第1回、それを踏まえてシーズンへの調整を優先する大物が続出して型落ちとなった第2回。この負の連鎖は2013年の第3回にも影響したのか、この年の米国代表はメンバーの名前だけでみると前回以上に小粒感が否めなかった。

 エース格は当時39歳だったナックルボーラーのR.A.ディッキー(ブルージェイズ)で、36歳だった元阪神のライアン・ボーグルソン(ジャイアンツ)も代表入りしていた。もっとも、当時の米国代表はリリーフ投手メインの継投策を志向していたことは付記しておく。

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第4回大会の優勝は“危機感”から