天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)
天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)

 9月に「環軸椎亜脱臼(かんじくつい あだっきゅう)に伴う脊髄症・脊柱管狭窄症」であるということがわかり、現在は入院してリハビリ中の天龍源一郎さん。前回の記事の引き続き、近況報告といまの思いを語る。

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 俺は今、会場には行けないけど、天龍プロジェクトでは代表で娘の紋奈が先頭に立って大会を開催している。なかなか会場に行けないのが歯がゆいが、出場しているレスラーは俺が見ていなくても、お客さんを満足させる試合をしてくれていると信じている。

 俺は若い頃は相撲で部屋の揉め事とか、いろんなことがあってプロレスに転向したから、勝敗よりも、お客さんに満足して帰ってほしいという、他のレスラーとは違う感覚が芽生えたんだよね。もちろん、幕内でやめてきたからプロレスでへこたれるもんか、トップになってやろうという思いもあったけど、それよりもお客さんに「面白かった!」という気持ちを持ってかえってほしいという意地があったんだ。

 プロレスに転向して4~5年くらいはパっとしない時期があった。それでも応援してくれるファンがいて、俺がアメリカから日本に帰ってきたとき「この数少ないファンに退屈させちゃいけない」と思い、それからは目新しくて面白いプロレスをしようと決心して、引退するまでその気持ちを持っていたよ。

 試合に勝った、負けたはついてくるけど、自分自身でも「面白かったかな」という満足感の方が大切だった。今日の客は天龍とジャンボ鶴田を観て、満足して帰ってくれたかなって、そればかりを考えていたよ。

 SWSのときだってそうだ。今では当たり前になっている「一本花道」もSWSが最初にやったんだ。「対戦する選手が同じ花道から出てくるなんてとんでもない!」って最初は言われていたが、今となっては、プロレスだけじゃなくて、さまざまな格闘技でも取り入れられているだろう。とにかく命の次に大切なお金を払ってきてくれるお客さんに、満足してもらいたいという思いから新しいことにチャレンジしたんだよ。

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天龍源一郎

天龍源一郎

天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。

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