大野和基著『私の半分はどこから来たのか――AIDで生まれた子の苦悩』(朝日新聞出版)※Amazonで本の詳細を見る
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 加藤はネットと図書館での情報収集に限界を感じ、2003年2月、自分が在籍する医学部の産婦人科教授にアポなしで会いに行った。「実はぼくはAIDで生まれたらしいんです」と切り出すと、教授に「AIDで生まれた子供に会ったのは初めてだよ」と言われた。「どうしたらいいでしょうか」と問うと、「AIDを行った医師に会いに行ってみたら」と言われ、その医師が東京都内で開いていたクリニックの住所を教えてくれた。

 加藤はまず手紙を出した。その中に、「AIDで生まれたため、自分の遺伝的背景がわからなくて困っている。父親の病歴を知らないと非常にデメリットになる」という趣旨のことを書いた。さらに「異母姉妹と知らずに結婚してしまう可能性についてはどう思うか」という質問も入れた。手紙を出してからしばらくしてそのクリニックに電話をすると、あっさりアポを取ることができた。

 土曜日の昼下がり、加藤は訊ききたいことを頭に入れてクリニックを訪れた。医師は、まるで待ち構えていたかのようにエレベーターホールに立っていた。「よく来てくれたね」と挨拶をされ、診察室へ案内された。「ぼくのところに会いにきたのは、君で3人目くらいだ。みんないろんなことを思っているみたいだけれども、最終的にぼくに会って感謝して帰っていくんだよ」。医師は、加藤にとってアイデンティティの半分が空白状態であることがどれほど深刻なことか、微塵も感じていないようだった。

■同じ精子提供者から75人の兄弟姉妹

 加藤が遺伝病についての懸念を医師に話すと、「まずドナー(提供者)を探すときに、私自身がその人と面談をしている。家系図を書かせてその中に遺伝病と考えられる病気がない学生しか選んでいない。さらに学生台帳を見て、近親者が何か問題を起こしていないかどうかも一通り調べている。何といっても慶應医学部の学生だから、素性はよく知れているよ」と言いながら「あはははは」と笑った。

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AIDで生まれた子供にとって最も残酷なこと