この大会の写真や映像は古くからのものが残っている。今に残る一枚のお写真――と、これは2022年9月に亡くなった皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんが好んで使ったフレーズだ。莫大な写真や映像を記憶していた渡邉さんに教わったのが、1968年11月2日の赤十字社有功章、特別社員章親授式の写真だ。
名誉総裁は香淳皇后で、壇の中央で手に紙を持ち何か文章を読んでいる。少し離れて同副総裁である女性皇族がずらりと並ぶ。香淳皇后に近いほうから、美智子さま(当時は皇太子妃)、常陸宮妃華子さま、秩父宮妃勢津子さま、高松宮妃喜久子さま、三笠宮妃百合子さま。
モノクロ写真の時代だから、正確な色はよくわからない。が、見えたままを説明すると、香淳皇后は黒い服を着ている。美智子さまは白い服を着ている。華子さま、勢津子さま、喜久子さま、百合子さまは黒い服を着ている。つまり、美智子さまだけ白い服を着ている、という写真なのだ。
これはどう見ても、美智子さまにだけドレスコードが伝わっていない。そういうことだと渡邉さんは解説してくれた。その事情については、渡邉さん言うところの「超一級の史料」である『入江相政日記』を引いて、解説してくれた。
入江氏は昭和天皇の侍従長を務めた人で、58年10月11日の記述にこうある。<東宮様の御縁談について平民からとは怪しからんといふやうなことで皇后さまが勢津君様と喜久君様を招んでお訴へになつた由>。東宮様は現在の上皇さま、皇后さまは香淳皇后、勢津君様は勢津子妃、喜久君様は喜久子妃。黒い服というドレスコードが伝わっていたであろう人々。「平民から」とは美智子さまのことで、「怪しからん」を今どきにすれば「ありえない」だろうか。
結局のところ皇太子さま(当時)と美智子さまは、59年に結婚した。それから9年経った赤十字の式典でも、美智子さまにはアウェーの風が吹いていた。
この大会から50年、2018年5月16日に全国赤十字大会が開かれた。写真も映像もたくさん残っているのは、平成最後の大会で、雅子さまが15年ぶりに出席したことも大きい。「来年から、雅子さまは大丈夫だろうか?」という空気は、国民の間にまだ残っていたと思う。