【事例】
女工哀史の悲運払って
元気印になろうとしたが

「ほしくて買ったわけじゃないけど、私も悪かったと思う」とC子さん(65)は、いう。東京都内でひとり暮らし。住み込み管理人をしている。管理する集会所内はよく整頓され、きちょうめんな性格をうかがわせる。慢性肝炎で通院中というが、体験を語る口ぶりの歯切れはよい。壺などの展示場へ連れて行かれたのは83年1月であった。

 きっかけは印鑑の訪問販売。姓名判断に興味をひかれて契約をした数日後、女性販売員の再訪を受けた。「印鑑をつくるために、先生に姓名を見てもらう必要がある。先生がそうおっしゃっています」

 当日、案内されたのは横浜駅近くのビルの2階だった。入り口で男性が、いんぎんに礼をした。フロアの中央にいくつもの壺、奥には石の塔の置物が飾ってある。つい立てで仕切った四畳半ほどの小部屋が10近くもしつらえてあり、その一部屋に招き入れられた。

 奥にC子さん、入り口に近い席に同行した女性販売員が座る。テーブルをはさんだ向かい側に、藤色のラッパ袖のドレスを着た中年女性と、終始宴黙な男性が1人。ラッパ袖の「先生」が質問を始めた。「あなたの親はどういう亡くなり方をしたの?」「お子さんは?」。問われるままに答えた。

 東北生まれのC子さんは「口べらし」のため尋常小3年の途中から6年間子守にやられ、製糸女工を経て上京。商家にとつぎ男女の二児をもうけたが、娘は生後25日で病死した。C子さん自身も結核に侵され、まもなく婚家を追い出された。前夫はその後死んだ。古典的な女工哀史の世界を生きた人である。

 聞いていた先生は、因縁や霊などの言葉をしきりに使い、「仏様があなたを頼りにしている」と説き始めた。補佐役の男性が白とピンクの壺を運び込んだ。「赤ん坊があの世で随分難儀している。このお壺を受けて毎日赤ちゃんだと思って磨けば供養になります」。これは100万円、こっちのピンク壺が150万円だ、と説明した。

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100万円の壺を買ってしまった…