中森明菜
中森明菜

 6月19日の夕方「伝説のコンサート中森明菜 スペシャル・ライブ1989 リマスター版』」(NHK総合)が放送予定だった。この春、NHKのBS4KやBSプレミアムで放送されたものが大きな反響を呼び、地上波で再放送されるというかたちだった。

中森明菜ジャケ写で振り返る40年【写真30枚】

※19日に起こった地震の影響で放送予定が変わったので、表現を一部変更しました。

 この「伝説のコンサート」シリーズでは過去に、キャンディーズやチューリップ、西城秀樹、チェッカーズ、尾崎豊、RCサクセションのライブを放送。このうち、キャンディーズやチェッカーズは解散ライブ、尾崎は人生最期のライブである。

 これに対し、明菜の場合はデビュー8周年の記念ライブにすぎない。にもかかわらず、大きな反響を呼んだのは、彼女の人気の根強さに加え、このライブがじつは「解散」や「人生最期」にもひけをとらない歴史的な意味を持つからだ。

 開催されたのは1989年4月。会場は、アイドルの野外ライブでよく使われていた「よみうりランドEAST」だ。ここで彼女はそれまでのシングル全曲を歌った。それゆえ、これは80年代の歌謡史の一端を物語るライブになったのだ。

 というのも、明菜は82年にデビューして、2曲目の「少女A」でブレーク。85年と86年は日本レコード大賞2連覇を達成した。細川たかしに次いで史上二人目の快挙だ。これはライバルと呼ばれた松田聖子の24曲連続オリコン首位獲得と並ぶアイドルの金字塔でもある。

 また、オリコンの年間ベスト10には、83年「セカンド・ラブ」84年「十戒(1984)」「北ウイング」「サザン・ウインド」85年「ミ・アモーレ」「飾りじゃないのよ涙は」「SAND BEIGE」86年「DESIRE‐情熱‐」「ジプシー・クィーン」87年「TANGO NOIR」「難破船」「BLONDE」と、5年間で12曲をランクインさせた。ちなみに、2年早くデビューした聖子は、81年から87年にかけての7年間で5曲にとどまっている。流行歌手としての明菜の充実ぶりがうかがえるデータだ。

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宝泉薫

宝泉薫

1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など

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