“誤審疑惑”で大きな批判を浴びることになった岡田功審判
“誤審疑惑”で大きな批判を浴びることになった岡田功審判

 試合中、突然マウンドの佐々木朗希(ロッテ)に詰め寄り、「大人げない」と世論の批判を浴びた白井一行審判。その後も5月15日のレアード退場事件で再び「球審白井」がトレンド入りするなど、騒動の余波が続いているが、審判が当事者となったトラブルは、今に始まった話ではない。50年以上前には、ひとつの判定をめぐり、白井審判以上に世間の逆風にさらされたばかりでなく、後に誤審ではなかったことが判明し、一転“名ジャッジ”とたたえられた審判も存在した。

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 その審判の名は、岡田功。セ・リーグを代表する審判として、実働36年にわたって職務をまっとうし、レギュラーシーズン通算3902試合出場はNPB記録でもある。

プロ野球審判の“見事な判定”列伝」(5月31日配信)でも紹介した球史に残る事件が起きたのは、審判就任14年目、球審を務めた1969年10月30日の日本シリーズ第4戦、巨人vs阪急の4回裏だった。

 0対3とリードされた巨人は無死一、三塁、4番・長嶋茂雄がフルカウントから三振に倒れると、一塁走者・王貞治がスタートを切った。三塁走者・土井正三も、捕手・岡村浩二が二塁に送球するのを見ると、迷わず本塁に突っ込み、二塁からの好返球でクロスプレーになった。

 だが、172センチ、62キロの土井は、175センチ、80キロの岡村のブロックに跳ね返され、一回転してファウルグラウンドに吹っ飛ばされてしまう。岡村は本塁ベースに覆いかぶさるようにして土井にタッチしており、誰の目にもアウトに見えた。

 ところが、岡田球審の判定は「セーフ!」だった。

 直前にカウント0-2から長嶋のハーフスイングを「ボール!」と判定されたときにも、「完全に振ったじゃないか!」と抗議していた岡村は、度重なる不利な判定にぶち切れ、岡田球審の顎にパンチをお見舞いした。

 さらに阪急・西本幸雄監督も岡田球審の服を掴み、ボタンを引きちぎらんばかりの勢いで食ってかかる。退場を宣告された岡村も、去り際にもう一発、岡田球審にパンチを浴びせるなど、本塁上の騒動は約3分にわたって続いた。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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試合後はまさに四面楚歌