川をはさんでの攻防戦でロシア軍は苦戦を強いられている(gettyimages)
川をはさんでの攻防戦でロシア軍は苦戦を強いられている(gettyimages)

 ロシア軍によるウクライナ侵攻では、東部ドンバス地方を中心に激戦が続いている。攻防のポイントとなるのは、地域を流れるドネツ川だ。ウクライナ内務省所属の親衛隊は18日、ロシア軍を阻止する目的でドネツ川に架かる橋を爆破する衝撃的な映像を公開した。川をめぐる戦いの構図は昔とちっとも変わらない。危険な渡河作戦を推し進めようとする軍の上層部、恐ろしい運命に見舞われると知りながら川を渡る兵士たち――。橋を奪い合う激戦の数々は戦争映画にも描かれてきた。防衛省防衛研究所・戦史研究センター長の石津朋之さんによれば、戦場の橋にはそれ死守する特別な部隊が必ず配置され、敵の攻撃に持ちこたえられなくなった際は橋を爆破して進軍を阻むと話す。

【写真】ロシア軍の侵攻を止めるために橋を爆破した瞬間

※記事前編<<「川」でロシア軍を撃破するウクライナ キーウ攻防戦は秀吉「備中高松城の水攻め」の逆パターンだった>>から続く

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 大昔から何度も戦争を経験してきた欧州では、川をめぐり、どのような攻防が繰り広げられてきたのか?

「例えば、第一次世界大戦でドイツがフランスに攻め込んだ戦いというのはほぼ川が関係していています。ドイツ西部を南北に流れるライン川とフランスのセーヌ川を挟んだ地域での川の奪い合いです。有名な『マルヌの戦い』『エーヌの戦い』『ソンムの戦い』などは川の名前に由来しています。あと、サン=カンタン運河を巡って争った『サン=カンタンの戦い』というのもあります」

 1918年、第一次世界大戦が終結すると、フランスはドイツとの国境付近に「マジノ線」と呼ばれる防御ラインを築いたが、その外側にはライン川とモーゼル川が流れていた。つまり、川を障壁として生かしたものだった。

 39年、第二次世界大戦が勃発。進撃を続けるドイツ軍の勢いを最初に止めたのは、旧ソ連軍だった。東部戦線で最大の激戦となったスターリングラード攻防戦である。「これはボルガ川とドン川を巡る戦いでもありました」。44年2月、この戦いに敗れたドイツ軍は後退を余儀なくさる。

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「史上最大の作戦」では…