明代の王圻(おうき、1530~1615年)による百科事典『三才図会』の「鳥獣四巻」にある「貘」。「南方に住み」、「象の鼻、犀の目、牛の尾、虎の足」を持ち、「邪を祓う」力があり、「銅や鉄を食べる」動物と説明されている(国立国会図書館デジタルコレクション)
明代の王圻(おうき、1530~1615年)による百科事典『三才図会』の「鳥獣四巻」にある「貘」。「南方に住み」、「象の鼻、犀の目、牛の尾、虎の足」を持ち、「邪を祓う」力があり、「銅や鉄を食べる」動物と説明されている(国立国会図書館デジタルコレクション)

 当時の文献資料を残し得る人々は、パンダとマレーバクという2種類の動物がいると認識していたわけではなく、昔の書物から、「山奥にすんでいて体が2色に分かれている貘と呼ばれる動物がいる」という情報を持っているにすぎません。そうすると、パンダを指していた「獏」と、マレーバクを指す「獏」の2系統が併存してしまうわけです。そして、文字が同じである以上、この併存状態がそのまま続くとは限りません。この、実際には似ても似つかないはずの2種の動物が、なんらかのきっかけで「貘」という文字を媒介に、混ざり合ってしまうということが起きてしまうのは容易に想像できるところです。

 実際に文献からその混同を見ることができます。先ほどご紹介した白居易の「貘屏讃 并序」が、『山海経(せんがいきょう)』という書物の引用の形で「此獣食鉄与銅、不食他物(この動物は鉄と銅を食べ、ほかのものは食べない)」と記しています。この部分は郭璞の「貘」と同系統の情報が混じり込んでいると言えます。さらに白居易は、南方に生まれた貘は、鉄しか食べない、人間が鉄で武器を作り、銅で仏像を作るために貘の食べ物がなくなってしまったことを悲しむ、と詠んでいます。「銅や鉄を食う」という虚構の特徴が「貘」と密接に結び付いて広まっていたらしいことがうかがえます。

 この後にも両系統の特徴をともに取りこんでしまっている記述は少なくありません。たとえば、宋代の陸佃(りくでん、11~12世紀?)は、『ひ【土へんに卑】雅(ひが)』―タイトルでわかるように、やはり『爾雅』を意識してつくられた動植物の辞典ですが―という書物を著し、そのなかでは、「貘獣」は「似」「象鼻犀目(象の鼻、犀の目)」「黒白駁」「甜食銅鉄及竹(銅や鉄、竹を食べる)」と説明しています。明代の薬草の専門家である李時珍(りじちん、1518~93年)は、有名な『本草綱目(ほんぞうこうもく)』のなかで、「貘」について郭璞の注釈と白居易の文の両方を並列させ、さらに陸佃の解釈をも参照しています。「銅や鉄を食べる」という説明も受け入れています。

 つまり、パンダとマレーバク、それぞれの情報と伝承が文献上で合体してしまったのだと言えます。そうして、実際のパンダともマレーバクとも異なる「貘」が生まれたのだと思われます。さらに、今回は「鉄と銅を食べる」という特徴のみに注目しましたが、「貘」は時代を経るほどにさまざまな奇怪な特徴が増えていきます。その結果、明代頃の文献上の「貘」は、すでに現実のいずれの動物とも結び付かない想像上の動物と言うべき存在になっていたと言えるのではないでしょうか。


荒木達雄(あらき・たつお)
東京大学附属図書館アジア研究図書館上廣倫理財団寄付研究部門(U-PARL)特任研究員。文学博士。2002年、東京大学文学部卒。同大学院、中国・台湾への留学や学校勤務などを経て、19年より現職。『水滸伝』を中心に中国の明代の通俗文藝を研究する。大のパンダファン。