街のいたるところに横たわる市民の遺体や集団墓地。ウクライナに侵攻したロシア軍の残虐行為は世界に強い衝撃を与えた。これまでの戦争や侵略でも民間人が戦闘に巻き込まれて亡くなったケースはあった。しかし、それと今回ウクライナで起こったことは明らかに異なる。ロシア軍は非戦闘員を虐殺し、しかもおぞましい方法で処刑した例がいくつも見つかった。なぜ、ロシア軍は民間人の殺りくをいとわないのか。現代ロシア史が専門の東京大学大学院人文社会系研究科の池田嘉郎准教授に聞いた。
【写真】プーチン氏の顔写真とともに「間抜けなプーチン」の文字が書かれた火炎
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池田准教授は、「ロシア人が民族的に暴虐とは思いません」としたうえで、こう語る。
「戦争に起因する残虐性を抑えるような仕組みがロシア軍には十分にないといえます。むしろ、占領地で敵を排除するにはどんな手段を使ってもいいという非人道的な意識が感じられます」
それはロシアに限ったことではなく、かつて欧州諸国も同様なことを行ってきたという。
「しかし、人権意識が社会に浸透し、交戦規定が徹底されるようになった現代の戦争では、民間人を殺傷することは処罰の対象となる行為です。ところが、ロシア軍の兵士の間には第一次世界大戦のころの『占領地の住民は敵だ』という思想がいまだ生き続けているように見えます。それが今回の虐殺の原因の一つと推察します」
自国民にも向けられた銃
18世紀末まで、欧州での戦争は国の支配者である君主たちの争いだった。軍を率いるのは貴族で、兵士として駆り出された農民が敵国の住民に対して憎しみを抱く理由はなかった。戦いは互いの軍隊がぶつかり合う会戦で決着がつけられた。戦争はあくまでも軍人たちが前線で戦うものであり、基本的に民間人は関係がなかった。
その後、フランス革命(1789–1804)で国民全体が国防にあたるという発想が登場し、19世紀半ばまでにヨーロッパに広まっていった。
「民間人を戦闘に巻き込まないという風潮が明確に変わってきたのはドイツ(プロイセン)とフランスが戦った普仏戦争(1870~71年)あたりです。単なる軍人たちの戦いから国民対国民の戦争、つまり『総力戦』へと変わっていきました」