ところが、この「アグネス論争」がスタンフォード大への留学のきっかけになるので、人生わからないものです。

「Time」というアメリカの雑誌にアグネス論争が掲載され、その記事を、後に私の恩師となるスタンフォード大の教授が目にしたのです。彼女はフェミニストなので、この記事に興味を持ったのでしょう。たまたま共通の知り合いがいたので、その人を通じて、私に「スタンフォードの博士課程に留学してみないか」と声をかけてくださったのです。

 夫は「なかなかこんなチャンスはない」と背中を押してくれ、決心をしたものの、留学を前に第二子の妊娠が判明。断ろうと思い教授に電話をしたところ、「大丈夫。入学しても産めますよ」と。そこで、3歳の長男、お腹には二人目の子どもがいた時にアメリカへ渡ったのです。

 今振り返ってもよく決断をしたと思いますが、やはり、「知識は財産になる」という父の言葉も大きかったような気がします。

 スタンフォードではとにかく勉強についていくのが大変でした。インターネットもない時代でしたので、資料も図書館に行って、コピーしなければならない。生まれたばかりの赤ちゃんと活発盛りの子どもを抱えて、育児も大変で。いつも子どもたちが寝てから勉強をしていましたが、かなり無理をしていたと思います。ただ、周りに助けてくれる人が多くいたのも心強かったです。

 2年ちょっと留学して日本に戻ってきてから論文を書きました。何回も書き直して、やっと1994年に博士号をとることができました。

 振り返ってみると、ボランティアも活動のときもそうですが、私は子どもが大好きだったんですね。子どもと一緒にいる時がいちばん自然な自分でいられる。ですから、トロントで児童心理学を学び、スタンフォードは教育学を学びました。

 ここで学んだことを自分の子育てにも使ってみよう、と興味を持ちながら子育てをしていました。「あ、そろそろこの時期が来るぞ」と思うと、本当にその通りになったりして。やはり知識があると子育ては楽しくできます。

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