保阪正康著『「檄文」の日本近現代史 二・二六から天皇退位のおことばまで』(朝日新書)※Amazonで本の詳細を見る
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 全文千500字程度の中に盛られた一文である。無論これは重要な意味がある。はっきり言ってしまえば、平成という時代には戦争がなかった、国民に多大な犠牲を要求する戦争がなく、そのことは「天皇のために」と叫んで死んでいく国民がいなかったことが、自分にとっては最大の喜びであると言っているのに等しい。天皇という務めを果たすことができたのは、国民の象徴天皇制への協力のおかげであり、自らがそういう国民とともに象徴天皇像を作るために、精一杯努力してきたことが実ったというのは喜びであるという意味でもあった。

 平成の天皇が、その役割を終えるにあたって国民に示した「おことば」は、前述のように3点の骨格から成り立っている。やはり重要なのは、2であるということになるであろう。象徴天皇制とはどのようなものか、そのことを確認し、ご自身も納得しておられるというのが自負になっていることがわかる。結果的にと言っていいのだが、近代天皇制は明治、大正、昭和(昭和の場合は前半期になるのだが)のいずれの時代にも天皇制絶対の超国家主義的国家として、天皇は位置付けられていた。天皇は自らの意思を表にださない君主のような存在であった。平成の天皇はそういうシステムの時代ではない時に育った。いわゆる戦後民主主義の時代の天皇である。

 この時代の象徴天皇制は、どの天皇も挑んだことのない天皇であった。平成の天皇は、美智子皇后とともにその像の確立を目指して努力を続けた。まさに手を携えてである。といってもその中心はあくまでも天皇であり、天皇の強い意思を皇后が支えるという図式だったのである。

 象徴天皇は平成の天皇が皇后の協力で独自につくり上げた天皇像であるということは、歴史的にも妥当性を持っているとの理解から出発しているのであろう。その部分は在位30年の式典でも以下のように語られている。

「憲法で定められた象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く、これから先、私を継いでいく人たちが、次の時代、更に次の時代と象徴のあるべき姿を求め、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています」

 ここに盛られている内容は、象徴の像はどのようなものか、それははっきりとした形はない。私は私の思う形で、象徴像をつくってきた、しかしそれとて完全とはいえない。いや、むしろ象徴天皇像を求める道筋はあまりにも長い。私に続く天皇はぜひ私のつくった像の不足部分を補ってほしいと、みずからの天皇像の継承を訴えていたのである。

 それゆえに天皇という立場を離れる平成の天皇の、このおことばはまさに歴史的意味を伴って、私たちに時代の移り変わりを教えているというべきであった。