そして、翌82年1月の米ドラフトでブリュワーズから1位指名され入団。80年1月のホワイトソックス2位以来、通算4度目の指名だったが、前年6月のドラフトで逸材のほとんどが指名されたあとの“冬のドラフト”で指名順25番目の1位は、かなり微妙な評価だった。

「このことから考えても、タツノ投手の未来にはイバラの道が待っているといえるだろう」(週刊ベースボール82年2月8日号)の予測は不幸にも的中し、1Aからスタートしたタツノは、1年目に2Aエルパソで7勝したものの、防御率6.42と制球難を克服できず、翌83年に解雇。86年にパイレーツ傘下3Aのハワイ・アイランダーズに入団し、再起をかけたが、2年間で3勝5敗、防御率6.16に終わり、メジャー昇格をはたせぬまま引退……。

 かつてタツノとともにスカウトの熱い視線を二分した江川も、同じ87年限りでユニホームを脱いでいることに不思議な因縁を感じさせられる。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍プロ野球B級ニュース事件簿2020」(野球文明叢書)。

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久保田龍雄

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久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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