「今、オリンピックのボートの代表に大学生はいません。体づくりと技術習得に10年かかると言われ、15歳から鍛え27歳ごろにピークを迎えるのが理想的で、そのためには高校、大学、企業が同じ考え方で選手を育成してオリンピックにつなげていかなければなりません。今、少子化にあって、高校単位でクルーを作る学校は少なくなっているので、地域ボートクラブを増やすなどして合同チームとして試合ができる環境を作り、ボートの魅力を若い人に伝えていきたいですね」

 東京大の現役学生がオリンピック代表となったのは、60年ローマ大会が最後だ。

 60年ローマ大会には大久保のほかに、斎藤修、福田紘史、村井俊治、水木初彦の東京大が出場した。村井は東京大教授を定年まで勤めた。最近、元ライブドア社長の堀江貴文との対談でこんな話をしている。

「堀江さんと同じで、私は4年間のうち大学には6か月しか行ってなくて、ボート部の合宿所で3年半ずっと……」(まぐまぐニュース 2018年2月5日)。

 水木は朝日新聞記者を経て、神奈川新聞社社長を務めた。朝日新聞社勤務時代、横浜支局長としてリクルート事件取材の陣頭指揮を執っていた。

 ローマ大会のボート競技では東京大のほかに、東北大ボート部から9人が選ばれている。コックス(舵手)の経済学部4年三沢博之は、長野県松本深志高校出身で、大学入学するまでボート経験はない。

「ボート部員が少なくエイトも組めなかった状態だったようで、入学早々、小柄の私が背の高い先輩に目を付けられてひっぱりこまれました。オリンピックに出るなんて夢にも思いませんでした。塩釜市の合宿所で毎朝4時に起きてひたすら練習の繰り返し。大学へ行く暇などなく、ゼミに入れませんでした。私はコックスだったので、大声で選手を束ねなければならない。練習後も、海に向かって大声をあげて喉を鍛えました」

 オリンピック代表選考会で東北大は東京大、慶應義塾大を退け、日本代表となった。

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東大、東北大としのぎを削った慶應大