東京五輪のボート競技会場になっている、海の森水上競技場(c)朝日新聞社
東京五輪のボート競技会場になっている、海の森水上競技場(c)朝日新聞社

 東京オリンピック・パラリンピック競技大会のボート競技に一橋大学出身の選手が出場する。NTT東日本所属の荒川龍太選手だ。

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 一橋大からは、2016年リオデジャネイロ大会にもボート競技で日本代表、中野紘志選手を送り出している。中野は石川県立金沢二水高校出身、大学入学からボート競技を始めた。当時の思いをブログでこう綴っており、大学広報誌が紹介している。

「『選択肢はたくさんあったほうがいい』と思い『一橋に入ったら何でもできる!』と思ったけれど、いざ卒業してみると『一橋なんだから』という理由で超選択肢がないことに気づく。一橋っぽい進路に進むことはおそらく簡単だが、自分っぽい進路に進むことが異常に難しい。(中略)人生プラスマイナスゼロだと思う。いらないものは全部捨ててしまえ。(中略)『一橋なのにもったいない』人生かもしれないけど『中野紘志なのにもったいない』人生はやだな」(「一橋HQウェブマガジン」2016年秋号)

 かつて、日本のボート競技は国立大学、早慶同志社など難関大学が強かった。オリンピック日本代表にも多く選ばれている。

 1960年オリンピックローマ大会では東京大と東北大、それより以前の52年ヘルシンキ大会と56年のメルボルン大会には慶應義塾大の学生が日本代表として出場した。近刊「大学とオリンピック」(中公新書ラクレ)掲載の文章から一部抜粋、再構成し、難関大学の学生オリンピアンを紹介しよう。

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 1960年オリンピックローマ大会。ボート日本代表に舵手付きフォアのメンバーとして、東京大法学部3年の大久保尚武がいた。

 大久保は1940年北海道生まれ。58年、北海道札幌南高校から東京大に進んだ。高校時代はスポーツの経験はないが、冬は雪下ろし、夏は薪割りで体力には自信があった。

 大久保は初心者として漕艇部の門を叩いた。練習は厳しかった。しかし、やみくもに体を鍛えたり、漕いだりしていたわけではない。同大学医学部衛生看護学科の石河利寛助教授の指導で、運動生理学の最先端研究を練習に採り入れた。

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