横浜高校から中央大はボクシングのエリートコースだった。副島の先輩にあたる荒井幸人も同じ道をあゆみ、76年に大学に進んだ。荒井は高校時代、ジュニアのアジア選手権大会、全国大会に優勝するなど好成績をおさめたが、プロの誘いを断った。アマチュアの学生選手としてオリンピックに出ることを優先した。

 荒井が大学4年のとき、モスクワ大会代表を決めるベルト争奪戦があった。このとき、対戦相手が出場辞退で不戦勝となり、オリンピック代表となる。この試合、勝つ自信があったので、荒井は悔しい思いをしている。こう話す。

「全日本チャンピオンがオリンピックに出ることになっていましたが、わたしは戦わずして代表となり、心から喜べませんでした。勝って白黒つけたかった。おまけにベルトはなぜか対戦相手が持ったままで、わたしには渡されなかった。これも納得できなかったことです」

 こんなわだかまりを持ちつつ、気を取り直してモスクワ大会への準備を進めていたとき、ボイコットを知らされた。

「部屋に戻り、布団をかぶって泣きました。当然、モスクワに行けるものと思っていたのに、いったいどうなっているんだと愕然としました。こんなことは二度とあってはいけません。今でもボイコットには反対です。スポーツと政治はしっかり分けてほしい。またボイコットするようなことが起こったら、モスクワ大会辞退を経験した者として、署名活動を行って国にオリンピック参加を訴えます」

■幻のオリンピック代表としてマスコミから注目される

 樋口伸二は本県出身。東海大第二高校(現・東海大熊本星翔高校)から77年に中央大に進んだ。

 樋口は右利きサウスポーだったが、決定打を身につけるため、練習後も左のアッパーの練習を繰り返した。それが功を奏し、ベルト争奪戦ではこれまで勝てなかったライバルを倒して、モスクワ大会代表の座を掴んだ。ボイコット当時をこう思い出す。

「え~っ、オリンピックはないのと、悔しかった。一方で、厳しい練習が終わり休むことができる。苦しみから解放されてホッとしたという思いも抱きました。大学チャンピオンになって調子が良く、負ける気はしなかったので、モスクワ大会に出たらかなりいい線までいったはずなので残念でなりません。ただ、幻のオリンピック代表としてマスコミから注目されることがあります。これが他の大会だったら取材に来ないんじゃないかな。そういう意味ではおいしいのかもしれません」

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「私費でいいからモスクワに行かせてほしい」