石井さんは19歳のとき、当時の代表に頼み込んで不登校新聞の正規のスタッフとして働きだした。そして、24歳で編集長に。いつの間にか不登校の子どもではなく、社会人として歩き出していた。編集長になってから10年以上が経つが、一時は部数が採算ラインを割って休刊の危機も経験。そのときはマーケティングと経営の基礎を学び、立て直した。

「誰かの責任にできないとか、過労と重圧に悩んだとか、もう、今はただの中年のおじさんの悩みしかないですよ」

 現在の編集方針は、公平、中立、平等は「保たない」こと。学校にいかない状態で苦しんでいる子どもの「私の視点」で問題を伝えることが使命だと、石井さんは思っている。

 また、当事者が紙面作りに携わる「子ども若者編集部」の活動は、職業訓練でも、子どもたちの自己実現でも、不登校の子どもの支援でもないというスタンスだ。

「不登校の子が社会に出るためのテストや訓練ではありません。不登校の子たちが感じたこと、苦しんでることは財産だと思うのです。それを、紙面を通して社会で共有する仕組みだと思っています」

■ 学校に行くというコースにこだわるな

 不登校は一つの生き方――。

石井さんは、40歳近い年齢になってみて、それを実感するという。フリースクールで出会った仲間は、その後、有名大学に合格して一流企業に勤める人もいれば、主婦として着実に歩んでいる人もいる。たまに、会って話すと、みな目の前の仕事や役割にやりがいを感じていたり、ときには人間関係に悩んだりと、経歴はそれぞれでも、人生には共通点が多いように思えた。

「不登校は学校に行っている人と歩む道筋は違うかもしれないけれども、同じ時代を生きていることにはかわらないのだと思います。生き方はそれぞれ。学校へ行くという一つのコースにこだわらなくていいと、今悩んでいる子どもたちには伝えたいです」

(AERAdot.編集部/鎌田倫子)