それでも最初はまじめに学校に通い、テストではいい点数をとろうと努力した。なぜなら、石井さんにとって公立中学校の生活は受験の失敗を取り戻す機会だったから。

「ちゃんとしなきゃ、もっとがんばらないと、と常に思っていました。テストでは一回のミスも許されないと感じていました」

 徐々にストレスをためていった石井さんは、中学2年のある日を境に学校にいかなくなった。それで石井さんの心が晴れたわけではなく、むしろ逆。自分の人生に絶望していた。

「不登校なんて、人生終わったな。完全に詰んだ」

 一カ月後、石井さんはフリースクールに通い出す。不登校になった子どもが行けるところはフリースクールくらいしかないというような認識だった。

 当然ながらフリースクールには、石井さんと似たような境遇の、10代の子どもらがいた。通ってみて初めて分かったことだが、その存在は大きな安心感につながったという。それまで、石井さんは自分以外に学校にいかない10代の人間がいるのが想像できなかった。ようやくロールモデルが見つかったのだ。

「あ、生きていけるんだ、って心の底から安心しました。自分は生きてていいんだと初めて思えました」

■「本当にしびれる」リリー・フランキーから痛い指摘

 石井さんが不登校新聞に関わるようになったのは16歳のとき。当時の編集部は石井さんが通うフリースクールの一角に間借りしていた。不登校の当事者が記者・編集者となって新聞づくりに携わる「子ども若者編集部」ができる時に、「取材に行ってみないか、有名人に会えるよ」とスタッフから誘われたことがきっかけだった。

 石井さんは取材で会いたい人に会いに行き、話をきいた。みうらじゅんさんや、糸井重里さん、大槻ケンヂさん、リリー・フランキーさん……。「楽しんでやったらいい」と優しい言葉をかけてくれた人もいれば、リリーさんには「君は、(取材で自分と)近いところを回りすぎだな」と痛いところを突かれた。ただ、誰もが一人の人間として石井さんと向き合い、真剣に答えてくれてた。石井さんは「本当にしびれる」経験だったと振り返る。

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