今回はバブルという時代への関心と、モデルとなった尾上縫さんという、あの時代を象徴する人物について書きたいという、両面がありました。

 バブル崩壊後、日本は自殺率も上昇して生きづらさが加速していく時代に入りましたが、私は団塊ジュニアの世代で、90年代中頃の就職氷河期にちょうど社会に出て、バブルの恩恵を受けないまま後片付けだけをずっとやらされている感覚があります。同世代の人たちはみな、バブルの後遺症の割を食っているのに、なんの手当もされていないという共通感覚を持っているのではないかと感じています。

 それで、いつかバブルとはどういう時代だったのか、尾上さんをモデルにした作品を書きたいと思っていたところで、書くチャンスをもらえた、という流れです。

――朝比奈ハルは昭和8年に和歌山の海に面した村で誕生。少女時代に家族を失ったのち、なぜ大阪で高級料亭を営み、投資家として知られるようになったのかが少しずつ明かされていきます。彼女の関係者の証言だけでその人物像に迫るという作りは、最初から決めていたのですか。

葉真中:いわゆる証言小説というジャンルですよね。証言小説の元祖が何になるのかは分かりませんが、有吉佐和子さんの『悪女について』といった名作もあるし、私は読者としても、この形式が好きなんです。中心となる人物を直接描くのではなく、まわりを描くことで不在の中心が見えてくる。

『そして、海の泡になる』はミステリー小説として書いていますが、証言者それぞれが自分が見たり考えたりした朝比奈ハル像を話しているので、主観が入っているし、嘘をついている可能性もある。それによって生じる食い違いというのは、ミステリー的にさまざまな仕掛けを演出しやすい。語り=騙りというミステリーとして、証言小説を書いてみたいと思いました。

■「時代」をどう反映させるか

――本作では朝比奈ハルがどうして莫大な負債を抱えたのか、彼女がどういう人だったのかという謎、それに加えて、彼女が罪に問われた殺人事件の真相、さらに取材しているこの“私”という聞き手がどういう人物なのかという、謎もあります。

次のページ