パリのカフェ。飯田さんいわく、パリのカフェでは、店員と客、客同士の会話や交流があるという(写真提供:Miki Iida)
パリのカフェ。飯田さんいわく、パリのカフェでは、店員と客、客同士の会話や交流があるという(写真提供:Miki Iida)
パリでは夜も空いているカフェが多い(写真提供:Miki Iida)
パリでは夜も空いているカフェが多い(写真提供:Miki Iida)

2008年に出版された書籍『cafeから時代は創られる』が9月、カフェ発の出版社・クルミド出版から復刊された(タイトルは『カフェから時代は創られる』と改称)。1世紀前のパリのカフェを解説した本だが、発売からわずか1カ月強で、直接販売だけで1000部が売れたという。パリのカフェといえば、ピカソ、ヘミングウエイ、サルトルなどの天才が集まり、意見を交わした場所。なぜいま、日本でカフェが注目されるのか。

【写真】パリの夜のカフェ

■セザンヌ、ルノワール、ピカソ…天才たちを惹きつけたパリのカフェ

 カフェの可能性をまとめた書籍に着目し、コロナ禍の日本で復刊させたのは、自身も東京でカフェを営む影山知明さんだ。3年がかりで本づくりに取り組んできた影山さんだが、このタイミングでの発刊となったことに不思議な因縁を感じているという。

 もともと投資ファンドの仕事をしていた影山さんは、2008年に実家の建て替えにあわせてカフェを開業することになり、客数や客単価など緻密な計画を立てた。だが、底本(復刊の元になった本)を読み、考えを大きく変えたという。この本はパリのカフェが多くの天才を輩出したことに着目しているが、カフェを「天才が集まる場所」とは定義していない。

 たとえば1870年ごろのパリ北部、モンマルトルでは、のちに印象派と呼ばれるドガ、セザンヌ、ルノワールらが「ラ・ヌーベル・アテヌ」というカフェに集った。またマネは同じくモンマルトルの「カフェ・ゲルボア」で毎週集いを開催し、ここにもモネやルノワールらが集って議論をしているが、当時はみな貧乏芸術家だったという。

 また象徴派詩人のポール・フォールは、1900年ごろからカフェ「クローズリー・デ・リラ」に通い、毎週火曜の晩に詩人たちの集いを開催した。のちに『詩と散文』誌を発行したことで芸術家や音楽家が集まり、その一人にピカソもいたが、当時はまだ共同アトリエに住んでいたという。つまり当時のカフェは、アーティストたちに表現する場を与え、才能を開花させた「孵化器」だったのだ。影山さんはこのようなカフェの姿に触れ、考えを改めた。

「カフェは計画にのっとって運営するものではなく、むしろ偶発性を大切にすべきものだ、と考えました。結果、緻密な事業計画をつくるのをやめたのです」

 のちに、著者と本場・パリのカフェを訪問する機会があり、さらに驚いた。メニューがない店が多くあったからだ。客は店員(ギャルソン)とやりとりをし、その日の気分に合った飲み物を注文する。また早朝や夜に開けている店も多く、人々は本を読んだり思索したり、思い思いの時間を過ごしている。決まったメニューで、決まったやりとりを行う日本のカフェと違い、パリのカフェはとにかく自由だった。

「お客さんや、そこで偶発的に生まれたもの。これらに生命力を見いだし、強くするのがカフェだと考えました」

 以降、若手音楽家を招聘して店で演奏会を開いたり、顧客との出会いから出版業を始めたりするなど、関わる人の生命力を発揮させる活動を始めた。

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一方、日本のカフェは?