夏目漱石、森鴎外、太宰治など、明治・大正・昭和に活躍した文豪たちの悪口や皮肉を集めた『文豪の悪態――皮肉・怒り・嘆きのスゴイ語彙力』(朝日新聞出版)。本能むき出しに怒りをあらわにする作家たちの言葉には、圧倒的な「個性」があふれている。本書の著者で大東文化大学教授の山口謠司氏が、「文藝春秋」創業者の菊池寛が憤激して起こした暴行事件を紹介する。

*  *  *

 昭和5(1930)年8月、作家の広津和郎(1891-1968)は、雑誌「婦人公論」に小説の連載を始めた。タイトルは『女給』である。女給とは、明治末年から昭和初期に掛けて、和服の女性が白いエプロンをつけて、給仕をしたりお酌をしたり、時には一緒に席について話したりする女性のことである。当時のいわゆる「カフェー」で、大いに流行った。

 連載にあたって、「婦人公論」は、「文壇の大御所、モデルとして登場!」と大きく新聞に広告した。当時、「文壇の大御所」と言えば、ずばり菊池寛(1888-1948)を指すことになっていたし、小説『女給』の主人公・吉水薫は、「太った文壇の大御所」として書かれ、読んですぐに分かるとおりの菊池寛だった。また「女給」こと小夜子は、本名・杉田キクエという女性に違いなかった。

 というのは、菊池は、毎晩のように銀座のカフェーに通い、女給たちにチップをはずむのだが、とくに小夜子をあの手この手で口説いたことがおもしろおかしく記されるのである。

<吉水さんは帰り際に、
「さあ、君握手しよう」
 わたし何気なく手を出すと、吉水さんの指の短い丸っこい手がわたしの手をぎゅっと握りしめました。そして握った拍子に紙の丸めたようなものが無造作にわたしの掌の中に押し込まれました。あっと思ってわたし無意識に軽く頭を下げましたわ。
 だってそれが十円札を小さく丸めたものだったんですもの。
(中略)
 或日、吉水さんがわたしにこう云いました。
「明日横浜のオデオン座に行かないか?」
「ええ、先生がつれて行って下さるなら、わたし喜んで行きますわ」>

 と言いながらじつは、

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じつは…?